Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

占いとかスピリチャル

 

     目に見えないものの存在

 

私はよく手相を見る、なぜならって毎日の生活が手に刻まれているから、今の身体や精神の状態がよくわかる、寝不足とか病気とか精神性や運動や考え方や理性がよくわかるし、言葉が思考を通さず出るので、言ってる意味がわからないときもある。手の持ち主が何か聞こえてきたものを参考にしたり、思い当たることで気をつけたり、喜んだりすればよくて、毎日手相も変わっているので、未来予測というよりも、今と過去からくるものといった感じだ。

 

時々占いを信じないという人がいて論争に持ってこようとする、だが私が見ている手はこれは統計学ではなく、感覚だし、もちろん手相占いの本を読み漁ったので、基本的な線の意味は知っている。ところがどんな場所かどんな時代かで、人の手相にも流行りというか流れがある。そして占いにしても宗教がかなり奥深く蔓延っていて、占いには二種類あると思う。お金儲けやものを売ることを主体としてるものと、イタコのように降りてくるものを読み取るものや統計や会話や行動や反応で導くものとか、そこには大きく分けて職業か人生かというところだ。

 

占いを信じてない人はよく聞いてくる事が、占いは当たるか当たらないか!本当か嘘かという言葉が出てくる。私は日常的に不思議体験や目に見えないものから何かが来る。幽霊は見ないけど、何か感じることがある、それが負の感情だったり、陽のオーラだったり、エンパス的なとこがあるからかなり何かが伝わってくるがどういうふうに感じるかはその人の個性だったり、その人の器だったりで、そのことを言葉に変えなくてはならないから、ピンとくるかどうかが問題で、占い師の人と言葉の領域が合うかでだいぶ違うし聞かなくても良いものもたくさんあると思う。占いが正しいか間違いかなんて、本人のことは本人しかわからないし、いい方や話の流れとかでピンとキャッチしたものに意味があり、その話で意味がわかることに意味があるので、占い師が正しいことを言ってると思って盲信する必要はないし、受け取る側が受け取るものを決めればいいだけなので、私は呪うような言葉や死を暗示す発言したりして脅す占い師は、聞かないほうが良いと思う。多分占いで出てくる言葉もちゃんと選んで不安や苦痛など与える人は関わらない方が良い、宗教が裏にいる占いは何かを買えとかこうすればいいとかコントロールしてくる占いは、気をつけた方が良い。

 

スピリチュアルもそうでスピリチュアルとは英語では霊性や精神性で、日本語では人間の精神や魂に関係することで、決して占いではない。哲学と言ってもいいような、だが悪用するものは多く占いとこんがらがってる、もちろん人間が生きているときは、生き延びるために不安というものが脳の思考で作り出すようにできているので、どんなに裕福だったり、どんなに幸せでも不安や悩みを作っていくように、脳は働いている。大したことやだいぶ辛いことからどうでもよいようなことまで、大それたり気を大きくして、取り返しのつかないことにしないように、死なないように、脳は生き延びるためにそういうふうにできている、文明が発達してないときから、動物に食われたり、自然に襲われたり、ありとあらゆる危険は存在してる。

 

そういえばこの間まで、女性も男性も戦う手相だったのが、Mという手相が増えてきて暴力とかそういう戦い方ではなく、守られるMの手相の人が増えてきた。Mの人とは波動やオーラが高い人で子どもでも子供じみていない精神性の高い人が増えてきた。結局のところ、考えないで従来や過去に固執した人は、見えてない、話しても浅いこと幼稚なことしか言わない人はMではない、従来の良い手相ではあるが、物質主義の手相ではある。今生きているところが物質主義の3次元なので、どんなに経験をつもうが視野が狭いので、話してることが幼稚だ。大体そんな人が中途半端な中間管理職や社長さんに多い、表面的には成功している状態だ。私の手相もMではない覇王線になったりならなかったり。とにかく数年前とはかなり環境や状況が変わっていて、常識や集団的な正しいことも変わってきている。思考や経験を使わずに、時間の短縮で便利に指一本で答えが出せる、知りたいことを考えてくれるツールができて、何もしない成長を止めた人達も増えてきている。AIを使ってChatGPなどで、考える調べるということをやめてしまって、個性もなく、Chatから出されたただし物とかを信じ自分の知識と装う人も出ている。流れ的には個人に立ち戻ろうとしてる反面、便利な一般的に埋没しようとしている人もおり、2極化はわかりやすく訪れている。

 

今の私は自分を愛する世界にいる、今までいた自分を犠牲にする世界にはもういない、その頃は別にあえてしていたわけではなく、ただそうしていただけだし、自分自身の内部は自分を自由にしていただけだ、ただ言い争うや損得勘定でしか話し合えない人たちに自分の感情を説明したり、考えてること生き方を言うのが面倒なだけで、一切話していない、大体否定しかしない人達ばかりで、会話にならない、何かの意見を否定するのは簡単だがその人は自分の意見は持ってない、ただただ否定して話してると思っているし、確固たる考えやビジョンを持ってるように見せている。先日も人と話しても言うこと聞かない、って愚痴る人いたけど、当たり前だ、思い道理に動かないことが聞いてないと思っている、私はよく人が言ったこと試しているが、そこで選んでいるというのに、その人たちはいうことを聞いていないと何度もいう。そして大事なことはその人たちは自分で考えて自分で実行してると思っているが、明らかに真似や人のアドバイスを自分の意見のような錯覚で行動して後で文句を言っている。考えてないし、自分がない、例えばアドバイスを参考にするとしても、失敗を人のせいにしている。私はこの人たちが、人をコントロールすることで自分を保ってるしできる人に見せたいと思ってるみたいだけど、自分からしたわけではないのに、自分は自分で動いてると思っていて、人をコントロールするということは人にコントロールされてるだけで、全く自分で考えて動いてない、猿真似だ。

 

見えてる範囲が狭すぎるし人もそのくらいと思っているが、年齢や経験関係なく大きく広く見えてる人には赤ちゃんみたいだし、確実に見透かされていることに気がついていない。そんな人こそ精神性を磨き経験を無駄にしないようにしっかり感じて聞いてみる必要がある。そういう人こそ占いとかスピリチュアルに過度な期待を持って他力本願になってることに気がついてもいない。行動や言動は必ず戻ってくるって、しっかり見聞きして何もかも逃げないで感じることが体験や経験でこれが生きるということでそして幸せを感じるというために私たちは生きている。それぞれがそれぞれの道を自由に歩く、正しいとか間違いとか損とか得とかではなく、どんなことも自分が選択してその自分の世界で生きている。

 

 

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そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
住所 〒551-0021
大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
営業時間 10:00~18:00
定休日:火・日
代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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