Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

大失恋からの全力で生きる

 

  大失恋して諦めるときしたこと

 

今考えると絶対やってはいけなかったのだけれども、苦しみから逃れるために自分を痛めつけたときのこと、自分を追い詰めた。相手は時間をとってくれないから、感情を表すこともできす、言いたいことははっきり言わないと気がすまないタイプなのに我慢して自分を徹底的に追い込んだ。自己評価を落とすだけのやり方、こうして苦しみから逃れようとした。

従来は誰かに嫌われたり、振られたりしたら、見返してやろうと自分磨きをして次に進むはずなのに。

よくある失恋であっても自分にとっては、肉が引きちぎられる痛みと翼をもぎ取られた感覚で、心臓にたくさんのナイフが突き刺さった痛みをリアルに感じた。

私は常日頃  人や自分の自由を大切にしている、だから人の意志も自分の意志もコントロールせずありのままに受け取る、行動や発言の自由を大切にしている、だから意図しない望まない現実には、受け入れて、逆に思いも寄らない喜ばしい現実や希望もありのまま受け取る、ただそのときの自分の感情や思考や意志を、人にはあまり話し合うことをしていなかった。

自由にこだわりすぎるあまり、かなり不自由に制限をかけていたことをしていた。

だから自分の内省としょうし、自分をとことん壊し傷つけ正義や道徳あらゆる善をふるう心の自傷行為をしてしまったのだ。

 

自由ということを大切に思うが自由は簡単ではない、信頼関係や自分自身や人に素直で誠実であること。自分や人を諦めないし、出来事や夢も諦めない。知りたいことの貪欲さやわからない、見えないことの解読したい。そしてしなやかでふわふわしていたい。

見守りながらいざという時の持久力、耐久性そんな自由な状態がいい、なんとなく自由という状態。

 

割と私は恋愛が苦手だし経験も少ない、男友達は割とできて仲良くしたり腹を割った付き合いもできるけど、人によってはセクシャルも含めても友達としたり、友達から恋人になったりする人もいるけど、私は友達と恋人は絶対重ならない。

そして恋愛として人を好きになることもあまりない、だから恋愛の経験は少ないのと駆け引きとかも苦手というより面倒で、女としては可愛くないと思う。

だからすっごく好きになった人ができたときやらかした、かなりパニクった。

その人は初めてあったときにやっと会えたと感じて私にとっては特別だったが、自分の初めての気持ちにどうして良いか分からなくなったし、相手の反応が良かったのは初めだけ手に入れたら飽きる遊び人の付き合い方だった。

子供の時からエロ的によってくる人が多くて、とにかく防御や避け方や逃げ方ばかり学習したので、付き合い方がわからない。冷静でいたら、近づきたくないタイプに思われたし、周りの人全員に反対されていた。

特にアメリカ人は体目的な人ばかりだとアメリカに留学してたスペイン人の子も忠告してきた。

ただやっと会えたと初めてあったときの魂からの言葉を信じたし大事にした。

結局は私だけが特別に思っただけで、ヤリモクだった、ポイッとゴミのように捨てられた。自分の気持ちと突きつけられた現実はあまりにも私を砕け散らした感覚。あまりにも感じてた感覚と相手の言葉や行動は乖離しすぎて目の前が真っ暗で闇に引き込まれていった。

 

その人のまえにも結婚を前提とした人とは付き合ったが普通の好きなので余裕もあり、男友達の延長のような付き合い方で、私を相手は縛りまくって寂しそうだったし、一緒にいるほうが私は寂しかった、お互い相手を見ていない感じ。

まあそれはいいとして、結局はその人にも、その後出会った特別な人にも振られるのだが、この時の失恋の対処がかなりだめなパターンだと思う。

特別な人には関わる途中でかなりひどい扱いを受けているのだけれども、それでもなんとか気持ちをポジティブに持っていってはいたけど、やはりポイ捨てのように振られてしまったのだから、笑える。そして振られ方も良くなかった、例え喧嘩してでも、会話が成り立たなかったとしても、お互い吐き出しているほうが、良かった、なぜなら、ひどいダメージを結果お互い残すことになる、振った方もまた同じことを繰り返すので、人を傷つけていくだろう。何か恨みでもあるのだろうか?

まあ、周りの人の忠告は聞かず、自分の感覚を信じたのだから、しょうがない悔いはない。

 

振られてからの対処を間違えてうつ病になってしまった。とにかく、ネガティブな現実だけを拾い集めて、いかに自分がダメ人間だから振られたと思い込ませた、振られたときも付き合うときも何も話し合いがないのだから、相手の気持はどうにでも作れる。相手にとって恋人だったかも好かれてたかも怪しい、結婚を前提として付き合いが始まった人は、まず両家の親に挨拶に行った、誠実ですぐにでも結婚する勢いがあったが、私がのらりくらりしていた。

まだ学生で今から夢に向かうときに専業主婦なんて匂わされてたし、私は多分男っぽい方で仕事に意欲を燃やし沢山の可能性も諦めたくないし、何より服飾の専門学校で成績は私のほうが上だ、まぁ学生の成績なんて実際なんの役にも立たないんだけど、何か嫉妬されて押さえつけられてるようで、人間関係も縛られててバイトも禁止された。

とはいえ相手はモテるみたいで歴代の彼女のプライベート写真も見せられたりして、後で別れたら私もあの中に入れられるのかと思ったら、裸や下着なんて撮らせないように、なるべくコレクションにならないためにも、写真は撮られないようにした。駆け引きめいた面倒な事をつき付けるし、何かお互いが見えてないから自分の思う理想な形がなんだか違い、愛し合ってはいないな、子どものおままごとのような付き合いだなって私は感じでいて、結婚したとしても別れそうだなって合わないなって思っていた。

私自身のキャラも甲斐甲斐しい可愛い子って見てるようで、年の割には恋愛に対して冷めきった考えなのを話せないでいた。縛り付けなくても私は浮気はしないし嫉妬もしないが、相手がモテる人で可愛い子やきれいな子を取っ替え引っ替えしてたので、安心出来なかったのかなって私は思っているし、執着され身動が取れず一人になれる時間がないくらいなら浮気してくれたほうが楽かなって考えてもいた。

全く暖簾に腕押しのようにのらりくらりとしていて愛想つかされ傷つけたようだ。最後に文句言われて別れた、ホッとした。

特別な人は最初はいい感じだったが、自分から動くタイプではないみたいで、あまり本気ではないのかで縛らないけど駆け引きはして、その人もモテるからたくさんラブレターをもらっていてぞんざいに投げてあって、私の書いた手紙もあんな扱いなんだと思った。言えないことを手紙で書いてたけど返事もこないしやめた。そして投げてある手紙を読ませようと見せびらかしてたし、あっ忘れた頃に手紙渡してきたけど英語だし、いかに自分はいい奴ではないこと書いてあったけど、はじめのとこ読んで、いい奴じゃなく外面がいい八方美人なだけなんて、わかってるんだけどと思って紙飛行機にして窓から捨てた。最後まで読まなかった、遅いよ、私にはいじわるだからいい奴じゃないこと知ってるよって、だって自分では優しいと思っているみたいだけど、表面的な優しさで、平気で酔ってヤバイ奴の側に置いて夜中飲み屋に誘っといて5分か10分で帰っちゃう。その後襲われそうになって、そのこと話しても笑ってたし。怪しそうな女友達もたくさんいたし、必ず女友達と住んでいた。一人で旅に出ての女の話ばかり聞かされた。

私はデ−トにも行ってないし、旅行にもいたことない、そもそも休みも家も教えてもらえないし、電話も知らない。全てことごとく何も知らない、唯一仕事場の電話番号だけ教えてもらったけど、何十分も待たされて、取り次いでもらえないか電話に出てこなかっただけか、何度電話しても話せないし約束したっていない。それも私自身、実家に行ったり病院行ったり、仕事してたり寝る時間もない隙間に時間を作っていた時間なのに徒労で終わる。「次いつ会える?」って言われ5分か10分だけたまに会える。会う気がないとしか思えない苦しみの中で、今の状況やお互いの気持ちを聞く時間もない、拒否られているのは明白だ。体も心も疲れ切ってるときに、ひどい扱いなのだけどつらい時期だからなんとか会おうとしてたのだけど、疲れ切ってて冷静さを失ってたから、できたのだけど私も辛くて何もかもやめるまで時間の問題だった。振られなくてももう電話も行くのもよそうって思っていたから、どっちにせよお別れだった、実りのない恋愛絶望しかない。

また駆け引きみたいな態度はしてくる、恋愛はゲームな人達のやり方だ。モテるのだからそんなことしなくてもヤキモチ焼かれるだろうけど、私はそれを縛ることはなく自由だけど事実があればどんなに好きであっても離れるつもりだった。愛がないなら恋愛は無理だし、なんと言っても恋愛観か゚積み重ねていきたいタイプで、それは恋愛というより同志と言う感覚で、家族に近いものといった感じの恋愛観なので、ホントは話し合うべきだったが、日本人ではないから詰めた話ができていない。

私は変わっているので話し合うことはとても大切であくまで夢があるから同志のような人でなければ続かない。

くっついたり離れたりなんて時間はなく、打ち込みたい夢もある、できたらお互いの夢や将来のビジョンをより認め合ったり高め合ったり助け合うことができなければ、本当の意味での人生のパ−トナ−が欲しくって、この特別な人がそうではないかなって期待したのだけど、見事に別の人を選んだ。一般的な恋人や夫はいらないとまで考えてはいたが、話し合うことが難しい状態で、多分考え方が似てるかなって希望的観測でただの勘に頼っていた。

 

結局は別の人が人生のパ−トナ−として選ばれて振られてしまった。一応忠告してくれる人はいて相手の友達の奥さんから可哀想で知らんぷりできないとそういう存在は知っていた。せめて本人から話して欲しかったが、そんな仲ではないと思い知らされる。

何も話せなくて悔しくって、そのライバルと同じ壇上にはいなくて蚊帳の外でそもそもライバルがいることも教えてもらえない、あんなに駆け引きめいたことしてたのにその人のことは隠していたから、実際は私は好かれてはいなかった、私への扱いがひどい扱い状態だ、と結論を出した。こういう風に自分を守って人と別れる人は、優しさを履き違えてる人、自分にも人にも傷を残す。だから日本語しかできない自分に腹が立った。自分の不甲斐なさにいざという時はあったけど、英語ができない歯がゆさに、自分を罰していた。ちゃんと終わらせないことがどれだけ苦しむか、はじめっからわかっていたけど、とはいえ相手の気持もわからないまま、動きようがなく確かめようもなく、自分に価値がないゴミクズのようにしか思えなかった。現実は私の見ている世界は自分が存在していないような消失感だけを味わった。

本来は言いたいことを我慢できないタイプなのに言葉の壁に打ちのめされて、本当は何が真実かは今でもわからないまま今に至る。

 

今でも好かれてたのかわからないまま、自分を下げ続け、ゴミのように思い、とにかく女としても人間としてもとるに足らないように毎日自分に侮辱し続けた。忘れるため全部を捨て去るため、夢に向かうことにした。

自分をこてんぱんに落とし、早く切り替えたいために自分を傷つけた。日頃から元来ポジティブな性格が簡単に、起き上がることもできないほどのダメージを自分に当たへうつ病まっしぐらだった。

 

その頃は歩く歩き方も電車の乗り方もあらゆる日常生活や仕事もできないくらい記憶もないほど、人間として死んでいた。

それでも両親が何も聞かず屍のようになっていてもほっといてくれたのがありがたい。飼っていたペットがその頃野良猫をお母さんが餌付けして30匹だか何匹かわからない野良猫に癒され、飼ってる犬に癒され、田舎の大自然に癒され、仕事に戻った。

 

  全力で生きていく

 

その時やってはいけなかったこと、まずは相手にどう言われようが何しようが話すことが大事だったし、自分をダメ人間とずっと蔑んで正しかった行いをしなかった自分を痛めつけたこと、眠れずに痛めつけたこと、自信を剥ぎ取ったこと、自殺しそうなとこまで自分を追い込んだこと。運良く自殺できなかっただけで、そういう巡り合わせや寿命じゃなかったこと。

そしてこの文章を書いてあのときの自責の念から解放されようとしてるが、やはりまだ解放できてない。

もやもやしている、起こったことの結果が思う様に行かず何かに原因をつけるために自分を今でも罰している、やはりまだ自分を責めている、まっ 自責も他責も同じことなんだけど。

 

それと別に私のその時の現状はちょうど仕事での問題も沢山モラハラ・パワハラ・セクハラ金銭や人間関係の裏切り、はじめはうまく行ったように感じるが何かネガティブな現状になってしまう。友達との不仲やお母さんの病気が始まり、妹が癌の末期で余命半年ということをお医者さんから知らされ、ホントは私が代わってあげたいと思ったし、失恋ごときでうつ病なんてやってる場合(自責)ではなく、妹が一日でも長く生きられる方法がないかと、実家や病院にいて少しでも役立つことはないか、先生に民間療法でも何でも手伝うからと調べたり、時には遠方に行って効くというものを探したりとしたことにより、妹のことをすることで社会復帰したというなんともなんの解決はしてないけど、妹の命が大切で全力を尽くしたけど、2年半は妹はやりたいこと、お金をもらわずボランティアで働いたり韓国に慰安旅行に行ったり、絵のコンテストに出しまくって、小さいが賞をもらってたこと、町の貢献で生け花を展示してたり、新しくお店を出そうと奔走したり、癌でも生きていけるとこまで奇跡の持ち直してうっかり宴会で酒をたくさん飲んで肝臓を壊して死んでしまったこと。

人には生きていくとき、意味があって投げ出さず、ずっと活きることが大切でたくさん経験することが大切で、当たり前って思ってあぐらをかいてたら、意味がなく、経験するために生きていて。

このあらゆる出来事を書いていると、はじめはうまくいき気を抜いたら、良く無いタ−ンになり諦めがちになるという経験を繰り返しているように感じる。

 

お父さんも癌で亡くなってその時も毎週お母さんが付き添いでずっと病院にいるので週末交代しに実家に帰って、そういうお母さんも妹やお父さんが亡くなる前から統合失調症でそれで仕事がなければ実家に帰って、大事な私が何か夢に羽ばたこうとすると、コロナとかのパンデミックが起こり誰かが病気になりお母さんも認知症になってしまって、私が一人で介護してたけど、とうとう私が倒れて、2年前癌のステ−ジ4、3回の手術でなんとか根治までこぎつけた。

何か大きな事をしょうとするとそれが自分にとって別な逃げれない大きな壁が立ちふさがり、色々アイデアを出したり、意見を聞いたり、情報を集めたりして立ち向かう事を経験している。そしていつも諦めないで問題の解決のヒントを探している。

探して実行できるときにしても納得できるまでいかず、焦燥感があとにくる、まだ今はゴ−ルではないのに何か結果を急いでいる、これは完璧主義な自分の思考にがんじがらめになっているのではないか、なんにつけての私のやり方ではある。

 

実はそれまで合間を縫って夢に向かってア−ティスト活動のためコツコツと続けて作品は作っていて、今何か命をかけて頑張ってきたが、なんだか疲れちゃって何か作品は創るけど集中できなくて、過去の解決できてない失恋がムクムクと湧き上がって、もう癌だっていつ再発するかわからない状態で、人生の終盤妹があんなに死ぬ前にやりたいことを精力的に生きていた時間が私にもその時間がやってきたようで、今はたくさんの経験で作品も創るけと精神というか魂活動、生まれてきてやらなくちゃいけないことを死ぬまでに全力でやらなくちゃいけないと思っている。

生まれてきた使命、それは後悔しないように笑って人生を回想する前に、できること経験してないことは何でもやろうと思う。がまだいいやり方や感覚、思考にたどり着けず、流れに身を任せようとしたが慣れていないから、不安がよぎり情緒が安定してない。

だから恋愛にしても中途半端だから絶対経験したいし、今まで心に蓋をしてた愛も何故か育って、今色んな愛のおせっかいもしてる。そんな私が嫌な人とは縁も切れていってるし、今まで経験してなかった場所だったり人だったりに行こうとしてる。本当に違う扉の向こうに冒険に行くつもりだ、妹家族にも影響がでてそれぞれの経験するべき道にみんなも準備を始めた。

死ぬまでにしたいことは出来る限り全力でやり尽くす。

が長い間人や自分の命がけなことばかりしてたから、今は命をかけてでもする目標が見当たらない。流れに身を任せようとは難しい。

人生がいつ終わるか不安な中でいるから、命がけなことではないと腑抜けになっている。エネルギーが欠乏してるのか、だからエンジンがかかるまで人生の休暇をしてる。

のんびりあぐらをかいてると人生や病気にダレてくと死期が来ることを知っているから。

のんびり流れに任せて、今までの経験を活かしながら無理に幻想の壁にぶち当たらず、自分の中から出てくる感覚に正直にもやもやしたりしたら、しなやかに流れて問題に今までとは違うアプローチでふんわりした自由に身を任せたい。

まだまだ知らない感覚や現実を体験できるのではないか。

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アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
住所 〒551-0021
大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
営業時間 10:00~18:00
定休日:火・日
代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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