新しい世界に進もう
自分に素直にいることが幸せを呼ぶ
素直でいると酷い目にあったり、なにか騙されたり、なにか摂られたりするから、ある意味大人になって擦れていく、疑って人をみる、状況をみる。
損しないように、裏切られないように、何なら得するために裏切ってやろう、騙してやろう、逃げてやろう、っていつの間にか守っているもがお金だったり、プライドだったり、承認欲求だったり、ハイクラスな生活だったり、人のせいにして、人を押しのけて、安全を求めたり、子供の時大切にしてたものを見失って、汚い軽蔑してた世界にどっぷり浸かる。
それでも、蓮の花のようにドブ池の中で汚れない花のように生きてる人はいる。確か子供の時から嘘や欺瞞に染まってた人もいたけれど、とても素直ですぐ騙されて誰かを助けようとした貴方が変わってしまって、それは裏切られたり、騙されたり、酷い目にあったり、苦しい立場や、悲しいことや、諦めてしまったり゙、色んなことはネガティブなことも起こっただろう、それでも、楽しいことや、嬉しいことや、幸せや、それはお金もあってお家建てて、家族も作って仕事もそこそこ上手くいって、食べるには困らない、旅行も行ける、不自由はないけど、愛がない人になってしまった、どこで道は分かれたのだろう。
家や家族自分を守るためと言って、そこにある嘘や欺瞞や偽りを見て見ぬふりしている、状況は表面的には幸せを演じてて、家族や、誰かを敵にして幸せを装ってる。
私はなんだか寂しいし悲しい、いつの日が自分の問題から目をそらし、誰かや家族を悪者にしてウサを晴らす、これはただの蔓延しているいじめの構造だ。
家族や人間関係の問題は、各自の持つ問題を人に投影して、はじめはなんとか戦ってきたが、戦う相手はみんな自分なのに投影した相手に恨んだり毒づいたりして、見てられない。
昔それで母が精神を病んだ時、父や私や下の妹と力を合わせてまず、それぞれ自分を正した、それが正しいのかわからない、母に愚痴と称してたくさん毒を聞かせた私達家族は、母は何でも皆の毒を聞いても元気づけてくれたが、母は自分のことのように毒を浴び続けた。だから、人にネガティブな感情は聞かせ続けては、毒を浴びせているのと同じだ、お母さんは愛を渇望していた、ペットを可愛がりすぎてよく小鳥を死なしていた。愛が愛情になる時、いろんなものが絡み合う、力加減がわからない、真ん中がわからない、母もいつしか、ネガティブなことしか言わなくなった。
感受性が強ければかなりダメージを食らう、父が我道を行く人で話は聞かない。
確かに母がSOSを出してた時、私は被害妄想だと気が付かず、そんな酷いことされてるのかと対策を話していただけだった。
一緒に暮らしていればもう少しは早く、異変に気がつけば知識があれば、酷くはならなかった。だがそれから、手伝える家族で母が良くなるように、自分たちのできることは何でもした、そして母が、普通に暮らせるまでになった。それから下の妹が亡くなって父も亡くなっても、母はなんとか再発しなかった、私は私と暮らさないかと提案したが、真ん中の妹家族と生活を選んだ、失敗だったと思う、お母さんの置かれた立場は、いじめの的だとは私は気が付かなかった。
お母さんは拒食症のような症状になっていった、いじめと言っても一緒にいる家族は大したことではないと思っている、そう存在の無視といういじめ、気に入らないからと、母のものを捨てたり、子どもたちは金づるにしたり、盗んだり、人権がない状態だが誰も不思議に思わない、愛のない家族だ。
その家族にはその家族で別の問題があり、それに触れずに誰も向き合おうとしない家族。
いつも誰かが仲間外れな家族だ、最初の夫婦から問題は始まっているのに、都合よく解釈して夫婦になってしまった。それだけが原因ではないが、お母さんは認知症になった。
日本によくある家族の形、大事な問題からそれて、他な問題にすり替える、自分の問題から始めなくてはならないのに、さも家族の一人が悪いように、あとの人たちで仲良いふりして、その問題を起こしてる人を腫れ物を触るように、みんなが大人のふりをする。
誰も素直に疑問を持たない、愛がない、馴れ合いしかない、自分に悪者役が回ってこなければ知らんぷり、気が付かないか気づかないふり。
そんな人間関係そこら中にある、そうこう見てると、どこにも愛がある人は見つけにくい、情愛や性愛やばかりで、都合の良い愛、純粋な欲望の入ってない愛は見当たらない。
そういう私も無償の愛を目指して死にかけたのだけれども、一人では、それは一方的なものでは人間としては無理があるけど、お互いがそれぞれが愛をもって助け合わなければ、あの最初に父や下の妹や私でお互い助けあったらなんとか乗り越えて、一人の負担を補い合ってお母さんを理解し合って諦めなかったら、時間がかかるけど上手くいった。
難しいけど、お互いが信じ合って、諦めなくて、いざという時に、自分のことは二の次にして、今やらなきゃならない、お母さんに愛を注ぐ、3人や2人やひとりで力を合わせて、なにか話し合うでなく、お互いが最善を尽くす、お母さんに感謝や愛を込めて、みんなそれぞれが病気になった時、できること、調べて知識を得たり、人から聞いたり、お医者様と相談したり、妹はたくさん友達が助けてくれていた。
この時本当に、いかに人の愛が見えるか、本当に身にしみる。
いざ自分が死にかけてた時病気になった時は、お母さんは認知症だし、一人だった、全然愛はなかった、人望がない、信頼関係もない、愛されてないのがよく分かる、見せかけの見舞いや何なら妹は、お医者様にマウントとっていた。今から手術をするお医者さんにいかにこの病院は三流かって、耳を疑う。自分が通ってる病院の自慢してた。
私はお母さんを助けたかった、一人ではあったが認知症を少し和らげてあげたかった、なんとか引き取って一緒に暮らした、少しは廃人みたいなとこから、子どものようなとこまでこぎつけた。
があの時のように、父も下の妹もいない、一人では時間がたりない、私は眠る時間がなくなった。
必死だったので上手くいくと思ったが私が病気になってしまった。そこで一人で病気と戦った。
お母さんはたまに通っていた施設に入ることになった。
私が思う愛は本当に見かけることが少ない、私の周りは条件付の愛、いざという時にわかる、大事な時に面倒くさいと逃げる人ばかり、偽物の愛、何なら自分に愛を要求ばかりしてくる人達ばかりでそれでも自分は愛があると、言い訳ばかりする人達、そして言い訳も頭悪いのか理屈や論理もグダグダなことしか言わない人、人の気持ちに無関心な人、思ったからといってひどい言葉を今言うって時に言う人。
謝らない人、人には愛を要求して自分は感謝もせずに返しもしない人。
そのくせ自分は被害者と思ってる、自分が自分を成長させず、いつまでも子どものままでプライドだけ高いわがままな人。人に自分の問題を押し付けて、1人前に要求ばかりする、そんな世界に嫌気が差して、だから私は自分を成長させて、違う世界に進む、エネルギーを吸われるだけの世界はおさらばして、我慢せずに素直に生きる、いい人は卒業して素直に幸せに生きる。何年か前から始めていたが、少しでも成長してるから、見通しも良くなってなんだか少しわかってきたこともある、長年足を引っ張ったり、やる気を失わす人も、自分が諦めたからと言って、情で引きずり込もうとするバンパイアや、なにか得なことないかと偵察しておこぼれをもらおうとする人、なんだかそんな人がうようよしてる中、いい人お人好しでいたことが笑える。
自分の個性が出せてそれ相応の人がいる世界に行くためにも、自己を磨いて自分を見つめて内観して、苦しくならない自分とあう人がいる世界に行く、楽しく笑って生きるという子供の頃からの夢に向かって。愛を積み上げられて、言葉がわかる、話ができて、何でも挑戦できて、知ることができて、経験できて、作りたいもの作って、笑っていられる世界に行く。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。
屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
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