Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

食物連鎖の輪の中に生きなくて、安定しよう。

 



       ヤドカリとかカマキリとか蜘蛛とか

 

人には色んな人がいて、目につきやすい人もいれば、目的のためなら、手段を選ばない人もいる。

悪目立ちしてる人は目的に忠実で正直。いい人や理解ある人を装って、目的に手段を選ばず、忠実に遂行する人は、目的には忠実だけど人には不誠実。どちらがというと、悪目立ちする人や人にどう思われても気にしない人は強い、自覚のない人、自分の欲望に忠実ということで、正義感を持っている。いい人を装って、隠れて人を優しさや共感風を装って利用する人。あからさまに、上下関係で支配する人、悪目立ちであからさまなパワハラ、モラハラ、セクハラ、カスハラのようにする人もいるが、こういう人はわかりやすい、もっとえげつないのが、表面的な愛や優しさで人を支配やコントロールする人。この人たちはよりたちが悪い、一見すると、一生懸命生きていて、自分の悪意を善意に思っていること。

やってることは結果同じでも、根底が違う。

意識的に欲望を正論と思っている人と、無意識に欲望を正義に思っている人は、そうです、それが人間です。

誰もが自分を守っていくのですが、自分を犠牲にしても人を助ける人がいますが、本質は人間ではありません。宇宙人だと思います、そうです自分を横に置き、人を助ける人、これは自己犠牲をしてまで、何らかの目的もなくやってる人はいけません。

人を助ける方法は別にあることを学ばないと、欲望にかられている人に利用されます。

利用する人が悪いわけでもありません、欲望に忠実なだけです、人の身になることができません、なんなら自分より人を助けることを正義と思っている人は、自分の欲望を悪と思っている人は、自分を制しようとします。

まずはバランス、善も悪も同じということを学ぶ。

光の影も同じ場所にあるということ、そこでやはり、自分の思考に囚われず、本質的な自分の声を聞く、思考は制御器官、なんにでも危険や不安を与えて、一旦立ち止まることをします。だから自分の声を聞いてから出来事の整理に思考を使うほうがより、バランスが取れます。欲望に忠実な人は思考を通しません、記憶を思考で整理することもありません。考えることを辞めてる人は、人を利用することを当たり前だと思っています。

魑魅魍魎のカオスの中では、正義も正論も平和も通りません。

どんなに純粋で真面目に生きているようで、そこに染まらなければ生きていけません。

これは自分の戦いです、どうしたいか、どうありたいか、そこで学んでいくのです、そうして自分の花を守ります、守り方が違うので、区分されるのです。

どうでもいいが一番硬い。

これが食物連鎖と図式化は一緒です。人間が欲望を捨てると、生きる気力を失います。

ではどうすれば、大体が、本当にモラハラ、パワハラ、セクハラ、カスハラのようなハラスメントをする人は根底がねじれてます、嫉妬や弱さや利害が、バランスよく機能せず、全ての見える事を、文字どうり人のせいにしているから、イライラしたり、怒ったり、怒鳴ったり、威嚇すれば保てるプライド、足を引っ張って、自分を上げる。

こういう沼にはまり込んでる人は、実際周りも自分も見えていない、だから虐めたり、怒鳴ったり、利用したり。

優しい支配の人も、ポイントで、本音が出て、何か履き違えて、怒り出します、言い方は押さえていますが、内容がおかしい、感情がダダ漏れで、何言ってるのかわかっててるのかなって、発言です、柔らかいモラハラですね。

共感しているように、オウム返しで発言してるので、ちょっとズレてたり、辻褄の合わない。

こういう人が曲者で、結局依存されたって、被害者を装っています。

本人も気づいてない人が多くて、偽善者です。たぶん波風立てたくないから、共感してみせたり、優しく見せたり、でも本質がズレてるから、あれってなります。

そういう人が、かまってちゃんや依存体質の人に捕まって、トラブルとなる。

まあ自業自得ですが、ということで、みんな自分が大切にするほうがよくて、よく見せたり、かっこよく見せたり、美しく見せたり、いい人に見せたり、とにかく仮面を意識的に無意識的に、何者かになろうとして、苦労してます。

目的のため、好かれるため、諍いをなくすため、あらゆる動機があって、自分は隠すことが当たり前です。

そして、自分に合う人の集団に加わるのです、たとえ、演じてる自分だとしても。

そうなってくると、もうどうでも良い、そんな声が聞こえてきます。

どんなふうに演じていても、そこには誰も存在していないということで、あなたは誰ですか、私は誰ですか。

だからお酒を飲んでごまかす、だからスマホ見て、気を紛らわす、だからコンサートで、推し活で、気の発散する。

だからどうでもいいが一番強くて、弱くて、賢くて、馬鹿なんで、幸せです。

もう誰と会っても、何をして話しても、空気を読んだり、演じたり、我慢したりで疲れるだけです。

一番いいのは、夢中で、自分がやりたいようにやることです。

笑うことも、怒ることも、悲しむことも、楽しむことも、素直にできる、そんな事が幸せです。

どうでもいいが一番幸せです。

結局根底に信頼関係がない限り、いつまでも、自分でも他人でも、素直でいることはできないからです。

混沌としたカオスの中で、採ったり、獲ったり、盗ったり、捕ったり、撮ったり、問ったり、取ったり、とにかく、とることしか考えない人たちの中では、どうでもいいって、生きていくのが一番です。

そして、その人たちの話を聞くと、どうでもいい理由や話しかしてきません。

子供や大人の時のトラウマやインナーチャイルドでも話してきます。

多分言葉にできる人は、大したことではなく、自分で理由をつけている、悪いことじゃない、実際同じ場面にいても、まったく、それは取り違いに見える、理由は後付けで、思考のなせる技、防衛本能です。

多分、誰もが唯一無二で、仮面を被らず、マスクも付けず、まんまな自分が最高だ、自分が自分でいることこそ、最高だ。

何もつけず、透明でいること、どんな色にでも人は勝手にみる、そんな事が大事ではない、誰にもジャッジをせず、自分をジャッジせず、自然になじんでいることが、無理せずいられることが、楽なことが、愛や信頼がうまれて、自分自身を愛することが、自分自身を信頼することが、一番強い、一番愛があり、愛が寄ってくる。

人の付き合い方はその人の恋愛とおんなじです。そして、手っ取り早く、支配と服従を始めます、人をコントロールする事、コントロールされることで人との関わりに安心を得ようとしますが、それは、不安定です。優しさでも、暴力でも、何かを過剰に与えて、コントロールすることが、愛だと思っています。それは、ただの、支配であり、服従である、健全ではない、人をコントロールするやり方で、安心、愛、お金、名誉、地位、ものを得ようとしてるだけです。それは、安定を求めて、不安定にしてるだけです。愛を人から得るには、お金、地位、名誉を得ようとするなら、自分自身を信じて、愛することが、必須です。

コントロールは、逆なんです、遠ざけてるんです、永遠に自分という尊いものを、思考に惑わされて、自信をコントロールで補ってるだけで、残念な自分を演じてるんです。やすらぎも、安心も、コントロールではありえないんです。

そこで、次々と人をチェンジです、ヤドカリです。次々に食うんです、カマキリです。罠を張り巡らす、女王グモです。

それが、世の中のカオスや混沌を作り出してます。自分自身をカオスにして、混沌してます。

自分を整え、自分が自分のまま、自分を信じて、愛することが、安定に繋がり、そんな人が集まってきたり、影響し合ったりして、整ってきます。

それは、緩やかな流れの中に、とってつけた派手で大きなものではなく、小さな光や小さな幸せが、積み重なって、安心が心の中で整うのです、そして外に、人が整ってくるのです、どうでもいい、ちょっと楽しい、チョット笑うそんな緩やかな、動でもない日常が安定を生むのです。

それとも、永遠にゲームを続け、捕食者、被食者を続けますか?

食物連鎖の中で混沌と生きていきますか?

 

関連情報

Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生

Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生

Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
住所 〒551-0021
大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
営業時間 10:00~18:00
定休日:火・日
代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

コメントは受け付けていません。

特集