地球の一部なのだから
極端に個人の快楽か苦行か
個人の根本的には幸せや楽しい嬉しいことだけがあれば良いなぁって願うことはとても素直な気持ちです。
誰かを思い誰かのためにとか、自分のために幸せを願って行動することは、いたって素直なことです。
自分のために人の為に、悪意や嫉妬などの誠実さではないものも生まれてくるのも素直なとこだ。
人によっては大なり小なり自分の中の悪も善もあることは、認識すべきだが、その悪や善に左右され、歪んだ心に傾けば、歪んだ世界に生きていくことになる。
だからといって善だけでは成り立たないのが実情です、個人であっても地球であっても集合体である以上、光と影や善と悪といった対極があることで成り立っている。
例えば地球温暖化といって石油製品を悪ととらえてゴミや燃料を減らすことによって、ゴミの中の石油を燃やす時のエネルギーを失い、かえって他ゴミを燃やしてエネルギーを作る国もできていた。やはり地球の変化を恐れて躍起になっていても、違った弊害は起こっている。
それは弊害なのだろうか、今は海の中の変化、温暖化によって寒い暑いの地域の変化で、生息形態が変わっているという。
地球が温暖化してるという変化は実際そうなのだろうか?
確か氷河期という時代もあったり、緑もない砂漠な時代も地球にはあったと習ったが。
人間が中心に地球があるわけではなく、地球の一部なのは私たちで、周りにある当たり前な自然や山や海なども今の地球なだけである。
個人としての辛いことや哀しいことがなるべくなければいいと思うのは、やはり苦しく辛いことはやる気も元気もわかず、個人として生きる気力も奪い取ることもある。
苦しい辛い哀しいとは人によっても違います、喜びや楽しさも人によって違います。
自分だけの喜び楽しさの個人的なものや、周りの人の楽しいや喜びを共感したものだとかの周りも巻き込む喜びや楽しさは、やはりそれぞれの生きる目的が違う。
それぞれが唯一無二な悪でも神でもない個であり、粒子なのだ。
だからこそ大きく広く見通すと成り立っている部分もある、この感情が良いことや楽しいことや幸せは苦痛や悲しみが裏にあり、本音と建前といった、悪と善が裏表にあることが本質で光と影があるから昼と夜があり、幸せと不幸せもセットにある。
とても大きな光やオーラがあることは、人知れずの努力やとてつもない犠牲を払っているものが起こっていたりしていたら、それはまだまだ未熟な個の幸福。
何事にも一心不乱に集中してすることは、極端な生き方だが、上手く真ん中にいる生き方は不器用でできない。
誠実さはとても不便でもある、誠実さや真面目さは嫉妬や妬みを引き寄せることもある。
時代や今によって誠実とか真面目とかも場所とかで、変化している。
やはり何かを生み出すためにはそれ相応の、負を経験しなければ、やはり同じくらいの正を成し遂げる事ができない。
完全主義者には見えてる全面とは違う、極端に片側に集中する。
それは完全主義な為に、出来ないことを許さない、程々は自分の力の全てを使うのでは、余裕がなく潰れてしまう、100%は完璧ではない。
が大きさが同じくらいのものが反対側に待ち受けている。
しかしとてつもない悪に魅入られると、悪のみで生きようとするとそこから抜け出すことはできない、悪を喜びとするなら、その分の悪が自分にも起こっていくからだ。
これも負と正が確実に帳尻を合わせて起こってきている。
淡々と出来事は川の流れのように、その時のその場所や出来事や自然の、小さなことから少しずつ大きい力になって流れているだけなのです。
ずーっと一人が嫌で沢山の人にまみれて沢山の人の力を得ていると、いつしか一人になることが訪れて、その時の自分がいかに人の力で成り立ってるかも知り、ずーっと一人でいる人は世界観が出来上がりつつあるが、人に関わらないと全てのピースは集まらず、世界観も中途半端で何かが足りないことに気が付き、何処かのグループや誰かとチームを創ることで欠けてるものに気がつける。
人や自然と地球に存在しているものに影響しながら存在している。
全てが偏ることにより無くしたり得たりという循環に気がつく。
循環や流れ変化は留まったりすれば、淀んでくる、それが自慢だったり奢りだったり、欲求だったりしたものを経て、止まるか腐る。
だんだん年月を経ることに便利になり、簡単に努力や苦労をせずに出来ることが当たり前のように見える。
自分の力と思いがちで、そこからくる徳は小さくなり努力を侮ることで、幸せは小さく感じたり、幸せ自体を感じることさえないという。
充実した豊かさ、あくせく働くこともしないでいいことは、本来の自分が塔の中で長く孤独になっている私が私を知ることで。
本当は自分なんてないから孤独も一人も感じることはなかったはずだが、今生まれた時に自分というものを生み出すために、1人で孤独になっている。
人は誠実に個人を大切にすることで、周りも変わってくる、本当は一人ではない人や自然や地球に私達個人を大切にする事で、自然に影響されていく、波紋のように悪でも善でも広がっていく。
物質的な嫉妬や妬みで誰かを陥れたとする、優秀な人や秀でた人は必ず嫉妬や妬みで、攻撃が起こる。
それは意識的にも無意識的にも、ところが本当に優秀な人は崩れ去ったとしても立ち上がる。
その否定的な裏切りの為に自由を手にする、解放され孤独という道を歩み始めて、本当の超越した新しい道を歩きはじめる。
その道を歩む人のことは見えません、同じ土俵を歩いていない。
未熟な自分は霧がかかってたり、全くの次元違いでその人たちは見えてこないのです。
天からいよいよ解放を無限のエネルギーを生産するために、離れた人達が本来のカオスに馴染んで愛を持たない人になって去った人達が、いつまでも同じ場所から見ているだけだ。
イジメたり見捨てたりゴミのように扱うことは、原石を研磨するためのイベントだった。
人は原石で色々な出来事により、選択してその人に選んだ光を輝かしていく。
それは地球でも同じでたくさんの変化を繰り返しながら地球は生きている。
どんな人にも輝いてるように見えなかったものが、手のひらを返して拒絶、見捨て苦痛を与えることで、何より信頼してた人に去られることが、拒絶、傷んだ心や愛する人々が嘲笑してで孤立や孤独で、遠くの見えない場所で輝いている。
これは経験するためには、驕り高ぶった戒めにガラガラと現実は崩れていくことがしばしば。
その試練を何度も何度も楽しみながら経験して、やっと少しずつ近づけることができる。
私は昔、はじめの現実の崩れは幼かった、私が思っている愛に満ちた場所ではないと。
ガラガラ何回目かの大きな現実の崩れから、私の翼はもげてしまったのだ。
地を這うようにそれでも楽しみながら笑いながら、ネガティブをポジティブに変えて過ごしてきたと思う。
大事な人やペットや花が死んでしまったり、大事な人に裏切られたり、そうして現実が崩れ去るのだ。
しかし本当は個人という概念で生きていくと分離や別離に苦しむことが起こる。
実はエネルギーとかオーラとか波動とかの目に見えないもので、繋がっている。
個体と見えてるものは、エネルギー体とか粒子の集まりとかで、見えてるものだけではない、生きてるということは、地球と一体としていて、人とか自然とかと別離も分離もないということが、体験できることが本来の魂なのだと。
私まだ未熟で別離や分離に酷く苦しむ、執着や依存をしているのだろう。
しかし流れに身を任せて、自分を思考でコントロールしないようにすると、少しずつ軽くなる。
人や出来事もコントロールをしないでなるようになるとしていると、少しずつ軽くなる。
何度も揺り戻しが起こっても、少しずつ要らないものの執着が緩んでいて、何かに縛られていることを認識できる。
自由や解放が忘れていた、何かに頑張り追い詰めていて余裕がない状態、楽しくない状態にしている。
そう私は地球の一部で周りに影響し共鳴し反発しながら、私の役目を遂行しているだけなのです。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
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屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
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