Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

孤独

 

     真の孤独と表面的孤独

 

私は一人の時間が好きだ、気を使わなくて、空気を読まなくて、顔色を見なくて、思ったことが言えて、思うように行動して、思いつきで動けて、ミスっても、傷つけることも傷つくこともない。人の言動や行動に惑わされて嬉しかったり悲しかったり苦しかったり、そんなジェットコースターのように感情をならなくていい、誰かの苦しみや悲しみを感じて苦しむこともない、人といるとすごく自分勝手に相手を気遣って、自分を抑えるから多分仮面をつける癖がなかなか取れない。

 

これは多分偽物の孤独、それを知ったのは20代の時に運命に出会ったから、人を好きにならない自分がいた、動物や植物や自然に対しての愛と違い、人間が裏がとても醜いからだ、もちろん自分にもある醜さだが。多分自分が持ってる熱情や深さが傷つくのにおそれて、人を好きにならないように思っていた。それでもそんな問題でなく湧き上がる思いが自然に出た時に私は戸惑った。

ここから本当の孤独の始まりがやってきた、自分にはどうすることもできない感情を抑えることしかできず、自分や人が魔物のように理解できない状態で、いつもなら思考で解決していても、少しも晴れず、寧ろ苦しむばかりで、上手く社会生活も出来ず、今まで経験してきたことが、なんにも役に立たず、冷静さを失い、自分をひたすら傷つけていく。

そして自分と向き合う時が来たのだが、私はここでも思考で自分を傷つける方法しか取らなかった。どこか冷めた気持ちで自分をジャッジし続けた、自分を下げることはいくらでもできる、とことん自分のだめだったことが弱いとこを責め続けた、これを成長と思っていた、自分の弱いとこ悪いとこ直すこと、この状態から抜け出すために、自分と向き合いもせず、自分の感情や欲望や自然に湧き出るものも、一般的な社会常識を当て込み押さえつけ消し去ろうとしていた。

 

孤独は自分との調和自分を許す、自分を知るということを履き違えて徹底的に自分を否定した。

そして目の前の雑事や困難や人へのお節介して、自分に向き合ったつもりでいた、自分や大切な人からの裏切りや非難は一挙に自分が堕ちていく。なんでもない人のことでは、ちゃちゃっと切り替えられるけど、本当に好きだったり大事な人からの言葉や行動は肉が引き裂かれる感覚がするし、吐き気や嫌悪感もある、しかしポーカーフェイスを装い今の状況を思考するのだった。暗闇に堕ちていく、それまでに何も変わったわけではない、たくさんの悲惨な出来事に遭遇してるのだけど、それでもなんとか立ち直ってきたがどうしてもまだ消化してない、未解決なものがくすぶっているのか、またまた自分と向き合う自分を愛するターンとなったわけだ。

 

孤独とは自分に返ることだ、自分を知ることだ、自分を自分のままでいいということだ。それには孤独がいる、いつも横にある孤独にどっぷり浸かって自分を取り戻すことだ、勘違いしてる自分や思い込んでる自分、社会生活や人との摩擦の中で身につけていったもの、不要なものを脱ぎ捨てるのだ。一般的な社会常識とか人からの称賛とか、まず勘違いするもの異なるものを着込んでいるので自分でもわからなくなってる自分、多分色々経験をして得たものはより自分との違いが浮き彫りとなっていった。いつか人から言われた、

『あなたの代わりはいくらでもいる。』

『あなたは嫌なことはしない。』

『愛は勝つ』

ずーっとこの言葉が嫌いだった、ところがこの言葉たちに囚われていた、そうしてその言葉をためしてもみた、私はこの言葉は違うと思う。人に代わりはひとりもいないし、嫌なことはしなくていいし、愛は勝ち負けではないと思っている。この言葉たちを言われた頃、私は元々のテンション高めなときと低めなときはナチュラルでしてた、感情にまだ正直で抑えることもしなかったし、お酒を飲むと酔っ払いとも思われていたが、毎日バイクに乗ってたので、仕事の日はお酒は飲んでないし、結構ずーっと仕事の日や仕事の人とは飲みに行ってもシラフでいた。飲まなくてもテンションは高くなるし、寧ろお酒を飲むと眠くなるから、日頃寝不足で仕事でへとへとだから、お酒は飲んでない。だが何かの誤解で私が酒癖が悪いとこの言葉を言っている人たちからは思われていた。同じ名前の人が酔ってTOILETで籠城していたこともあったけど、あれも私のせいになったみたいだし、まあ一度みんなの前でも気にせず行動したことが、とっかかりかな。よく酒飲むと妙に女になる人とかも、仕事場でいたし、面倒事を起こす人も多かったから、行動が目立つから酔っ払いと思われていたと言われた。そうなのだ、お酒の席ではみんな酔っ払ってるから、自由に行動していた面もある。

 

そうはいえど、素の自分でいることは、、一般的な社会常識と一緒にトラウマやネガティブな感情、ポジティブな感情を身につけ、知ることにより多くの世界に気が付き知識や常識や経験が増えるほど、ピュアな真の自分感じる心を、思考で武装して目眩ましをする。色んな経験や出来事に傷つきトラウマを生み防御する様になってしまう。理解してもらえない、信用されない場所では、どんなにたくさん人がいてそれなりに、助け合ったりしていても、偽物の孤独であることになる。

 

孤独は全てを明らかにして、へりくだった捻くれた皮を破り捨て、傷もトラウマも喜びも楽しみも表に出していく作業だ。これは必要な心の孤独だ、時には苦しく悲しく、そして愛おしい真の自分が顔を出す。孤独によって自分を表に引っ張り出すことだ、常識や正義や当たり前とは全く関係してない自分。それから孤独によって自分に向き合うことによって、ごまかしや、仮面や建前なんて関係なく、異端な自分、誰もが唯一無二であるための自分。同じ時代にいて同じ場所にいて同じ親から生まれたとしても、肉体的面以外の真の自分は、全く同じ経験はしていない、見えてるもの物質世界を重視ししているが、思いや感情や心や魂は物質ではない、誰もが見ているものも、目という耳という鼻というものから感じてる見えないものだ。世の中に存在しているのは物質だけではない、そのことを当たり前過ぎて蔑ろにしている。

 

孤独というのは原点である、個体としてや細胞として分裂した個体だからこそ、孤独があるのだ。それは誰でもが当たり前で生を受けたことから始まった、肉体を持つ経験という冒険だ、その人その人が生まれ落ちてから始まる孤独との闘いで、途中に愛や好きと言った特別な感情を持って、人や物を愛した時に、孤独を感じずににいけたとしても、いつか別れがあり、ひとりになる、孤独はいつも側にあるから、生まれたからこそ孤独を経験するためでもある。魂や霊では肉体を返さなくてもどこでもいける、物質的には何もできなくてもエネルギーとして行動できるのだ。ただそこには落とし穴があり、欲望や愛情といった念で動くと執着が大きくこの物質世界からでられなくなる、もし肉体がなくなったとしても、念やエネルギーとして、場所や物や人にくっついてしまう。幽体離脱や夢や虫の知らせとか、そういった物質世界とは違う念やエネルギーがあることはあるが、私たちは物質世界を体験するために生まれて、物質世界だけでは生きていけず、かといって霊とか魂世界だけで生きていくと、物質世界からの逸脱で、それをよく精神病に当てはめられている。孤独とはそういった物質世界と精神世界を両立させ偏らせないための道具というわけだ。

 

孤独とは大きく広い世界で全く未開の地もあれば、宗教や本などで語られている一部が文書化や語る人がいる教えのようなものまで、いろんな人の経験を表されているが、それだけではないのも確かで、人それぞれが生涯を通じて経験していくことだ。語られてみない、書かれてもいない、孤独もたくさんあってそれぞれが歩み経験体験を通じて、生きていくのだと思う。

 

孤独とは人に優しく人を尊重して慈しむことで自分を削る、意見を言わない、ことで人から距離を置くのではなく、同じように自分に優しく尊重して慈しむことが前提で、溢れる愛からの行動であるべきでで、豊かでいること、勿論自分をジャッジしないように人もジャッジしない、あるがままを受け入れてからの、優しく厳しく尊重して慈しむ。それは人だけではなく、物や自然や動物と言ったものまで愛を溢れさせるのだ、割と難しい、自己犠牲か他者犠牲で成り立っている現状で、そういう成り立ちでは違っているから、孤独という世界で心をクリアーにしてみて感じる事が大切だ。

 

特別ではない、ナチュラルで自然なこと、自然に湧き出る笑みや涙や怒りや苦しみや喜びと言った、自分の中から湧き出るものが、声が目の前に見えるものが、シンプルに感じる、孤独がそれに気が付かせてくれる。

本当の気持ちや感覚や感情、流されない自分、湧き出る自分、そして教えてくれる物や出来事が孤独の中にある。湧き上がるものには、欲望や嫉妬などのネガティブな感情も湧き出てくる、そこに否定もっせず肯定もせず、じっくり自分を味わう、そうしたら他者の感覚も少しは見えてきたり、もっと大きな器にもなれる、もっと大きく広く深く見えてくるものもある、ネガティブな心がより一層自分の深みをだすのだ、そしてポジティブな感覚がより一層大切で愛おしいものとなり、もっと愛は深くなる。汚い水に咲く蓮の花だ、汚いものに流されない、汚されない、毒されない、汚いものを知ってるからこそ、きれいなものがわかるということだ。

 

孤独は死ぬ時に必ずやってくる、その時初めて自分を見たのでは遅すぎる、受け止められないものが走馬灯のように流れていく、意味がない人生と思うか充実した人生と思うかは、その人の選択、死んでまた新たな冒険に行くときに、経験を受け入れて糧にして豊かになると、また新しい冒険はより面白くなる。勿論死ぬ前にも何度も何度も新しい冒険をしているのだから、その時が怖くはないものにもなる。孤独は必ず側にいて、私たちを助けてくれる。真の自分や真の世界を観ることができる。

 

 

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代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
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