Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

原点回帰

 

 ヘドロのようなまとわりつくもの

 

 この間久々に森林浴を浴びようと、吊り橋のある森に行った。そこに行くまでにバイクで汗だく、歩いてる森をハイキングの時も汗だく、森の中でもちっとも涼しくなくただ観光地と違い人が少ない、流れてる川の水が冷たい紅葉時期や新緑時期だともっと清々しいだろうなあと思いながら、歩いていたのだが、吊り橋付近は人もいたが、夏の木々はくたびれていてもう一度秋の紅葉の時に吊り橋を渡ろうと思った。森をおりるとき赤ちゃんのような子猫のような鳴き声が響き渡っていた。そこから背後に何かついてくるような感覚で、人もすれ違うのだがその猫や赤ちゃんの泣き声の時には誰にも会わず、人の気配はしても、誰も近くにいないそんな感覚だ。とりあえず汗だくで暑すぎて食欲もなく、水分だけとってバイクで帰った。バイク運転中は頭が痛くて、熱中症か余計なもの連れて帰ったかと思いながら家に帰った。結局帰ってお風呂に入って寛いでたらなにもなかったが、逆にヘドロのようなまとわりつくものを洗い流したように身体が軽くなった。この間から色んなものを精神的に断捨離してるのだが、長い間色んなものが身体にまとわりついて、子供の頃のような心の第三の目が曇っていた、それが社会性だの常識だのにかこつけた皆がいっしょ、はみ出すものは許さない中の常識に捕らわれていた。それが分厚く身体に付随してる脂肪のように私を私でなくして翼も広げられない状態になっていたことに気がついた。身体の病気も切り落とした、意味のない人のしがらみや悪意や常識や正義で大きく重い肉襦袢を着ているようなそんな感覚もそぎ落とした。人と話すときや場所や空気に変なときは違和感をすぐ感じるようになった。それが具体的に何かはすぐにはわからないのだけれど、気持ちのいい感覚やモヤモヤした何か変だと思う感覚はすぐに感じる。多分私が正しいという話ではなく、人の表面的な演じた常識をまとった表現を見たり聞いたり感じたときにモヤモヤした感じになる。それが自分を投影してるときだったり、相手の見せてる面と奥の面が乖離していて、話してる言葉と身体で示してるボディランゲージが違うときにモヤモヤしたり、書いてる文章の違和感だったり、とにかく今まで見逃してたり、相手を見ていなかったり、自分の良いような解釈でスルーしてたことが見逃せなくなっていた。思考で考える方法と感覚で感じる方法がより強固に流れ込んでくるのだ。意識と感覚が50:50になって広く観れる視野ができつつある感じだ。これは物質的や対人的にまみれすぎて本来あった大切なものが失われていたか休憩していたようなのだ。人間の元々持っている感覚が生きていく中で物質的な常識に取り込まれてしまってたようだ。それがヘドロとなって身体に巻き付いていたのだ。感じて観る大切さを忘れてしまっていた、当たり前が鈍くどす黒く痛んでいた。

 

ある日は雨の日の山の中腹にある神社に歩いて登る、鉄砲水のような土砂降りの雨の中神秘的な森林浴。何か妖怪でも住んでいそうな靄の立ちこめるなか、今日は昨日までのうだるような暑さではなく、湿度に暑い。しかし雨具がないと寒いのだ、目も開けにくい鉄砲水のような雨が降り注ぎ、身体は重いが心は清々しい、幻想的な風景が何か別世界、宮崎駿の世界に迷い込んだような気持ちにさせる。霧が煙のように見えてモクモクと立ち上っていき、樹齢何百年の木々が色んな緑色になって苔や山の紫陽花とかを活き活きとして見える。雨の日の自然はとてもエネルギーを吸い込んで新緑のようにとても綺麗だ。本当に自然の持つエネルギーは疲れさせない、私に霧となって雨となってエネルギーを注いでくれる。今日は雨なので途中まで車で来たが野性の猿があちこちに現れた、何か木の下のものを拾っている。そんな風景もエネルギーとなって襲ってくる。夏の日々の暑さで、誰も余り森林公園や山にある神社は人が少ないが、それはそれでとても有意義な時間を持てた、思いのほか雨の日のほうが次の日にとても疲れていた、汗をかかないのが返ってその時疲れを感じさせないのかはたまた、その自然のエネルギーの違いなのか、とても雨の日の山の中腹にある神社に行ったときの方が筋肉痛で全身疲れていた。

 

暑い夏のツーリングとハイキングは癖になりそうだ。雨だったので、神社が中腹にあるとこには山頂までは行かなかった。行けなかったが雨ではなく春や秋に山頂まで行くのは色とりどりの木々や花々になってるので、またトライしてみよう。また違ったエネルギーが観じられるだろうから。しかしなんだろう、とても昔理解できてなかったことが、今は理解できるそれも違う物語としてストーリーが出来ている。それがどうということではないのだが物事をポジティブに捉えすぎて、その時の悪意に気がついてないことに、能天気なストーリーにしてたのが笑える。やはりその時その時人がいる数だけストーリーはあって、それをどう捉えるか、大人になって社会に出て本音と建て前で覆い隠されているので、なお一層奥深いストーリーが増えてるのだ。なのでこの間から自分に帰ろう、沢山のストーリーを感じよう的な感じで、原点回帰に繋がっていく。それは原点ではなく進んだ自分になってるのか、後退してるのかは分からない、ただ純粋に見てた観察してた頃の目に、ヘドロに毒されずに傍観したり行動したりするそんな自分になりつつあるなあって感じだ。

 

 

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その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
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そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
住所 〒551-0021
大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
営業時間 10:00~18:00
定休日:火・日
代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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