常識には興味がない、仮面を被って誰かを演じて生きる気はない。
空気を読む、イエスマンを量産して停滞させた常識。
よく空気を読む、長いものには巻かれる、みたいなものが正しいとしてそこで強い凄いとされる人の顔色を見て、真実を歪めたり誤魔化したりすることに隠蔽になり、日本の社会は実力があるかないかではなく、いかに怒鳴る人ずるい人を横行させて怒鳴ったもんが勝ち、フェアではない平等ではない社会をみんなで作り出したか。正しい評価ではなく見せかけの建前でずるく生きることを良しとした。人種ジェンダー年齢あらゆる差別を容認して人間としての平等を怠った。なが~く受け継いできた常識。
空気を読んでも発言する人なんて変わり者にされてきた、出た杭は打たれるというようなことわざがあるとおり、トップを作り後の人達は考えない言われたとおりに動き誰につくかみたいな無意味な集団を小さい時から強いられてきた。私はずーっと思った事を言ってきた、間違ったり正かったりしていても全ては同調を求められた。本心や真実を曖昧にして空気で覆った。
それはイジメ(ほぼ犯罪)に繋がりそこには平等は関係ない。全ての問題が空気を読むことで考えさせない想像の出来ない無知を助長した、自分さえよければいい危機管理(本来の危機管理ではない)という考えで多数の人達は空気を読み長いものに巻かれてきたのが今の現状だ。ジェンダー問題も人種問題もあらゆる差別問題やイジメ問題もセクハラも虐待もモラハラもお金を持ってる持っていないも何もかも変わっていない、全てが魂のあるものとして個人を尊重させない思ってること感じることに声を上げない考えない事、人を助けない想像できない、誰もなにもせず、目と耳と口を押さえてきた結果である。見ざる言わざる聞かざる考えないでいた。常識という名のもとで透明で何ものでもないものになり下がっている。
勿論無知もある狡もある面倒もある、完璧ではないのでミスはする小さいミスでも大きいミスでも。その結果わかるはずだ、上だの下だの考えずまずなにを言ってるのか、なにをしているのか話してみたとき、自分の保身ではなく起こっている現実をなにも見ずに感じずに無視をして自分を安全な場所に置いていただけだ。
そんな教えを親から子に学校で職場で、色んなコミュニティで育てた結果が今の社会や常識、空気を読む、長いものに巻かれる、臭いものには蓋とたくさんの格言を残して続けてきたところだ。声を上げると弾圧受ける、いじめられる、たくさんの罰を与えて声を上げさせないようにしてきたのが常識だ。内容はどうであれ長い時代時間続けてきた。
そして大勢の人が可笑しいと思わず従ってきたことや容認してきたことも問題でもあるのだ。そして差別を受けた人もひとたび別の人が差別を受けるとその人も加害者側にスンナリ変わる、そうやって問題をいつもすり替え本質的な事には触れず、弱いものを作って優位に立つ事をくり返したのだ。弱い者が弱い者のではない強い者が強い者ではない。
そうして考えること意見の違う人と討論すること、相手の意見の本質聞くこと、何度もくり返して誰もが尊厳を奪われないこと最善を見つけ行動することが当たり前な社会なることはなかった。小さな社会家族でもそうだ、怒る人厄介な人を野放しにして事を荒立てないようにして暴力暴言を容認する。長いものに巻かれない声を上げれない状態に精神的肉体的に持ち込んで家族みんなで違う者をいたぶった。
そこに正しさ誠実さはない物事の事実はない、違う者を徹底的に排除して集団を守ろうとしてきている。これは進歩ではない、退化だ、守りでは無い老化だ、腐敗して朽ち果てるのを待つ行為だ。河が流れるように常に変化をして水を動かし浄化させ新しく生まれ変わる変化が必要だ。水を止めよどませればなにも生まれず腐っていく腐敗して河はなくなる。守るとは進歩してかたちを変えよどまないことだ止まらないことだ。
たくさんの失敗とそれに気がつくこと、それぞれ一人一人が考え感じることが必要でその事を率直に話し合える場所や人が大切なのだ。新しいことだろうが古くからあることを改良することだろうがそれぞれの力を出してみんなの力で発展させることが必要なのだろう。それにはそれぞれ個人の隔たった価値に平等に考えられる知恵をつけることが必要だ。
よどんだ河の中に生きているのだ、少しでも流れているところ見つけてそこで活きれるようにまず考える、好きなことを笑えること楽しいことそこで壁や障害があることが見える。探求心の思うままどうすれば取り除けるかどうすれば進めるか考え試してみる、何でもやってみながら考えるのだ。頭の中で考えるのではなく五感や六感を使って行動しながら考えるのだ、たくさんの失敗をして感じながら考えるのだ、前に進むのだ。
日常が創作 生きていることがアート
よく日常に洋服のような形態が湧いて出てくる、それは頭の中や感覚に浮かんだもので2次元のデザイン画にしても3次元のものとは当てはまらない。そこで物化して私はそうして服を創っている、子供の時から生き方は変わっていない、やり方は変わっていない。それは小さな存在を育てているみたいな感じだ。どんなに変わっている非常識と言われようとも活きてアートしている。
笑うこと楽しいこと苦しみ哀しみ怒りが新たに見つけ知ることがアートなのである、生きていること自体がアートなのです。そこには歓び苦しみたくさんの感情を経て実体化していくのです。それは人それぞれ自分自身が経験して感じて知っていく学びです、誰かと関わり話し色んな事を経て自分が知るのです。そして色んな感情で育んでアートは形を造って具現化するのです。たまたま私の表現方法が服を創ることだったのです。
ただ私に必要なことがあります、自由です。とてつもなく大変な自由です。色んな制約もない人間としての自由です。よどんだ河は入りません、たくさんの犠牲も入りません。どんなに常識で妨害しようと蔑もうと自由に服を創るのです。
私には服を創ることがあったから自分を諦めたり蔑んだりしていない。人も好き嫌い合う合わないはあってもそれぞれ尊重しあうようなそんな人として自由のある世界な事を望む。自由はお互いの尊重し合うなかで出来ること。あらゆる差別や犯罪や戦争の中に自由はない、それぞれを活かす世界はない。
決められた常識に苦しめられる。
私は今とても苦しい事がある、お母さんの頭の世界や独語により振り回されて私の自由が奪われることだ。私が珍しく弱音を吐いた、常識に追い詰められて弱音を吐いた。これの対処に家族もケアマネも警察や一部の病院の医者も「お母さんを施設に入れろ」とアドバイスする。なにを相談しても施設への入所をアドバイスする。しかしお母さんはとても今の自分と折り合いをつけていて楽しく上手くいかないことにも頑張って折り合いをつけている。私が眠れなくてイライラしてるだけだ、お母さんもそれで余計夜が眠れなくなっている。
ただ夜眠ることは大切で私は朝起きると元気に創作をはじめる朝型だ、夜眠れないことは心にも体にも自由にもよくない、夜に浸食される。お母さんの日常の補佐なんて何でもないことで対して時間は奪われていないのに、上手く自分の時間に自分が集中出来るようにコントロールすることが出来てないだけだ。そう私がただお母さんに意識を多く使っているだけのことだ。私が私に折り合いをつけていけてないだけなのに、常識的にはお母さんを施設に入れることが最良と皆が言ってくる。愚痴も言わさないように、
人はアドバイスと称して自分がその問題の楽な路だけを教えて手を引けさせる方法のアドバイスをする。別にお母さんを今の生活に破綻してるわけでもないし、正直に生きている。私も認知症の人には嘘をついて合わせろというマニュアルをやって見たがそうすると生活は破綻していった。正直に生きてる人に嘘は必要ないと思っている。正直に生きてるからこそ傷つける言葉を吐いたりと上手く出来ないこともある。私も正直に生きているあの認知症の人には合わせろはおかしい。
空気を読むと言うあれである。それは明らかに馬鹿にしてる、合わせてこちらがコントロールしてるみたいな感じで相手に不信感を与えている。私は私も正直に生きたい、あくまでも対等な人間だ、多少忘れっぽくて現実世界に生きてない部分があるならその事は説明してわかってもらいたい。しお母さんはわかってきている、現実世界と頭の世界とは別なこと、お母さんの世界と私の世界は違うと。それは認知症や統合失調症であっても個性ということになる。私とお母さんが個性も考え方もなにもかも違うのは当たり前でそこで助け合う事も当たり前だ。
お互いに夜眠れないことがネックとなって上手く回っていないだけだ、もしこのまま夜を上手く眠らないと何時私だって認知症になるかわからない、精神的な病気や肉体的な病気になる。そうするとまた新しい性格が表れてそれを理解して上手く折り合っていくしかないのだ。人は変わるし体も心も変わっていくわけだからいちいちそうなったとき排除してたら人間は差別や戦争や果ては姨捨などの排除でしか解決しないやり方しかないと決めてしまい哀しい歴史を歩んでいるわけだ。
違う者を集めて閉じ込めるやり方でくり返さず、一緒に活きていく方法でないとなにも解決しない。隠すとか閉じ込めるとかではなく理解し合い尊重しあえる、そうでないと差別も戦争も終わらない。
常識は得てして私達の人間の尊厳と権利を侵している、そして正しいこととされていることが悪であることがある。私は路を探していく、なければ工夫して自分で造って考えて選んで歩いて行く。今ある問題な常識にとらわれず自分の納得の路を探す。それで何度も失敗しても誰かのアドバイスのこれはやってみようと思うことも、率先してやってみる、人は枠では分けられない、それぞれの個性は尊重すべきだ。
だから常識やルールで自由を奪われないように活きることを諦めないように、私もお母さんも活きていきたい。お母さんはデイサービスでい場所見つけた、施設に入っててなにもしないでただ生きていくことは私には選べない。私も自由を奪われ活きられない人生は選べない。常識には振り回されずオリジナルな自分で生きていく。そしてこうやって排除してる人達は自分の番が来ることを想像しないのだろうか?自分が人にとって違う人になったとき自分も同じ目に合うことを想像できないのだろうか?私は自分の自由とともに人の自由を大切にしたい。
ハンドメイドオレンジ&アンティ-ク風切り替えワンピース AW2020-2
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Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。
屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
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