自由な魂
自由とは無法とか無秩序とか無情とかの中からは見つけられない。
私は自由が好きだがそれは、心は縛られない、自分の魂でいられることだ、と思っている。
何でもかんでも自由という言葉で、無秩序や無法や無情や無臭や無視とか、なんでもかんでも自由という言葉には当てはまらない。自分の枠の中の自由であることで、だったら、人の自由も受容すれど、その心や魂の方向での自由だから、全ての人の自由は受け入れることはできない。
各自の世界があるということは、自由を守るというのは、自分を守る自由もあるということだ。
人は生きている目的もエゴも魂もみんな違う、というとこで全ての自由を守ることはできない。
極端に言うと人を殺すことに喜びを感じる魂なら、とてもじゃないけど、私とは相容れない。
自分の自由を守るために人の自由を守ろうとすることは平等だとも思っているけど、大事なことは何にも囚われないと言っても、囚われる自由もある。
私は人の自由や自分の自由に囚われすぎた時期があり、何でもかんでも許して、自分を傷つけた。そのことにより、何かの出来事で、この時の決断は未来に後悔するだろう、と思って、自由になるための決断をしたことがあるが、ここには囚われる自由の決断だった。
未来の今、その出来事を大切に思っていたが、確実に囚われていた。
自由な翼をあの時捨てて、自ら囚われに行ったのだ。
それでもいつも自由を望んでいる、今日今までは、囚われてることが自由だと思っていた。
今は、少々囚われていることの自由に、次のステージを望み、その自由からの解放を自然に始めている。何とも体も心も軽くなりつつある。
これも魂の声に沿って、自然にしている。
苦しみや悲しみを自由に受け入れて、その中で自由にいる。
これからは手狭になった、囚われの自由から広大な場所の自由に自然に移行している。
よく人から自由だねって言われているが、実際自由とは、自分が決めた素直に生きることを言うのだと思っている。
放浪の旅に出ているから自由とかでもないし、とても堅苦しく生活をするのは、本来の自分でいるなら自由なわけだ。
だから、自由とは無法でも無秩序でも無理することでも何もない、人から見た自由ではなくて、自分の魂に沿って進むことを自由というのではないかと思う。
何かに逃げて、何の責任も負わず、ただただ怠けることではないと思う。
ただしそれは人から見ていてもわからないものだ。
怠けていると自分の尺度で見えてたり、自由に振る舞ってると過信したり、自由とは結構難しい物で、不自由な方が実は楽だったりもする。
それでも私は自分のも人のも自由を大切にする。
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