自分を愛しようと思ったら
自分を愛するのは難しい
愛するとはわがままや猫可愛がりではなくほどほどなことで大切にすることだ。病気を機に内省とか自分を大切にすることをしてたら、思いの外難航している。自分の触れたくない部分にも目をやってみると、小さな子供がいた、駄々っ子のように要求を突きつける、私確か子どもの時に駄々をこねたことがない、いやあったとしてもほとんどがお姉ちゃんだから、女だからと何かにつけて我慢をはじめさせられた、それがあたり前になって、妹がいるからいいお姉ちゃんをしていて、お母さんやお父さんを困らせないように、風邪を引いても言わなかったし、怪我をしても病院に一人で行った。みんな仕事が忙しいから、なるべくお手伝いもした。体も弱かったので、いつも一人で病院に行っていた。妹は上手にわがままが言えるけどいやわがまますぎるが、私は言えない。学校でトラブルが起こっても、自分でなんとかしたり、でも学校はなるべくサボらなかった、なぜなら、よく調子が悪くて熱が出て家に帰りだれていた。いじめられるときもあったし、朝しんどくても学校に行った、そして熱が出て早く帰るから、サボっているのと同じだと思っていた。今心の中の一番弱い部分がずーっと駄々をこねて体が動かない。誰かに助けを求めたいけど誰にいえばいいかわからず日に日に自分が弱っています。この弱い部分とは愛です、今凄く安心したい愛されたり愛したりで愛に包まれたい。今私に一番必要なものは愛です、愛する対象も愛される対象もない状態はかなりきついです。私は自分のこと冷たい人間だと思っていました、だから好きなものも人も中々見つからなくって、面白い関心が湧くものを見つけて代償行為で自分を納得させてました。大好きなものはすぐ壊れて、大好きなペットはすぐ死んでしまいます。やっと見つけた大切な人もすぐ去っていきます。いや全てではないのですが、特に気に入ったり大事にするとなくなります、そして残るものは搾取や利用者で観葉植物も花も昨日まで元気だったのに枯れてしまうことがあります。去年は大きくなって株も増えて花もたくさん咲いたのに今年は株がなくなってたり、それで調べてみたら、愛情や手のかけすぎだそうです。植物も一定の日当たりが良い悪いがあったほうがいいし、果実も甘さを出すのは過酷さも必要だとか、なんか優しすぎたり、冷たすぎたりするのはよくなく植物も動物も同じなのだそうだ。
過保護は虐待でもあり、放置も虐待でもあるということなのだ。何事にもバランスが大事で、自分を大切に愛するということも同じでほどほど自分贔屓で、どちらかいつも自分を蔑ろにしてた人は、自分を超特別待遇、自分がわがままだった人は、自分に厳し目にした位の自分を大事にする待遇でいなければならない。案外そういう程度がわからないからそれをすることで、人や自分の距離感をつかむ。愛情や友情や血縁関係とかに惑わされて、縁を見直すことをすることで感謝をしない利用をする人は縁を繋ぐままでは相手の成長の阻害になり、責任を押し付ける人は縁を切ることでその人の反省するチャンスを与えることで、悪口陰口噂話を言う人は言霊の悪いものを人に与えているので人を傷つけ相手も自分自身も汚しているのでそういう縁は切る事が大事で、成長を阻む人はアドバイスと言ってやる気や大事なその人の芽を摘んでしまうことで、自分の価値観を人に押し付けて、無意識か意識かで相手を自分のステージにとどまらせたり成長を遅らせたりしています。そういった人達に優しく接して縁を繋いでいることは、優しき人はエネルギーを削りやる気を削ぎ優しい人を疲弊させ、新しい変化やステージに行く事を阻んでいる。自分を愛することはこういった人達と縁を切ること、冷たさではなくお互いの成長を進めることでもあり、自分を守ることでもある。自分を愛するということはそういった人達やコミニティから出ることでもある。新しい自分に合った成長を続けていけるコミニティに行く事が大事でもある。ネガティブな人とも距離を置かないとネガティブは伝染する。
私もかつては自分と競争していたのだけれど、これは自分に厳しいとも取れてそこを緩めるように、対人だと人を優先度を緩めてほどほどにするという練習が自分を愛するということだ。そこでこの間確信したことは、人より優れているから好きというのとは違って人と比べない人種、めっちゃ運動音痴でも運動が好きって子がいつも楽しそうに走ったりダンスしたりと次々に挑戦していて、凄いなって思ってた、勿論上手くなりたいし、一番になりたいが、ただ好きなことが下手でも好きなことをする楽しみが原動力で一番を目指している。少し違うけどもろに小さな時はそうだったいつも自分が競争相手で昨日の私と私は競って楽しいことをしてた、なんでも楽しいことに変えて、何で今行き詰ったか、いつも自分はちっぽけで宇宙から見たら点にもならないなんて思ってて、目の前が広く自由に感じてた。そうそうほんの何年前までそうやってた。何か今狭く感じて、不自由に感じて、人の悪意がもろに感じて、早く次に進みたいと焦ってて、何か真面目になってしまって、助けを求めた相手が悪かった、ネガティブな人達にしがみつこうとした。冷たい冷たすぎる、手を振り払われ弱みに塩を塗りつけられた。ここで苦しんだ、逆に良かった、ネガティブ沼は嫌いだ、はっきりその人がいくら好きでも関わりはやめる、後腐れない晴れやかな気持ちだ。やはりどんなときでも関係性が悪くなろうが本音で話し合うのは、はっきりする。どうでもいい関係性ならどうでもいいのだけれど、そうやってこのステージの残った問題をはっきりさせたい、新しいステージに行くには縁の整理は必要だ。
そう今落ち込んでいるのはまだはっきりさせてない問題があるからだ、この問題は長く心にあってそれをほっといて次に進もうとしたが、何度内省しても乗り越えられない、はじめの内省の時に決めたのだがいろんなトラウマも絡んでいるから、これは解決したい。どんなふうにでもはっきりさせると新たな人脈や出会いがありそうで、新しいステージにも行けそうで、結論を怖がっていては前にも横にも進めない。そして大事に育てたものが本物か偽物かそれを整理するべきが自分を愛する第一歩でもあることに気がついた。大事なことは自分を愛する旅に出る事が人生の醍醐味で、毎日自分を褒める、自分を愛していると言う。どんなことでもいつも自分が一番の応援者、一番の家族、一番の恋人、一番の友だち。鈍臭い時も大きなミスをした時もどんな自分も大事にして、自分自身でいいという、迷っても苦しくても悲しく嬉しい時も楽しい時も成功したり挫折したり、どんな時も一番の理解者。いつも愛して大事にしていると、笑ったり泣いたり怒ったり自然に自分と会話して、いろんな旅を続けることに、終わらないことに永遠な愛がそこにある。人との関わりには別れがあるそれが成長のためだから、だから自分を大事に愛することは、自己中心にいるのでも厳しくするでもなくほどほどにする、だから人を大事に愛する事もできる。だからずっと自分を愛する旅は続くのだから、それは難しい。心の平静が自然と愛を教えてくれる。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。
屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
---|---|
住所 |
〒551-0021 大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21 |
電話番号 | 090-5063-3092 |
営業時間 |
10:00~18:00 定休日:火・日 |
代表者名 | 角戸 圭子 (カドト ケイコ) |
info@kadotokeiko.com |