Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

言葉や行動やエゴ

 

    言葉

 

言葉は侮れない、嫌な言葉  粗暴な言葉  ネガティブな言葉  もし思った言葉 感じた言葉の中で  どの言葉を使うか?  言葉の威力には思ったより強く人に浸透させる。綺麗事を言うとは違う 正しいことを意識していいとも違う  その言葉の持ってる力で、使っている人や聞いてる人にも威力があるから、人を傷つけたり癒したりが目に見えない力となって広がっていく。言葉は安易に使われてるようで心の声が出ていることも多い。そして言葉によって支配されるとこもある。いい人を装い謙虚に言葉を使っても、蓄積された言葉からのチョイスなので、やはり真逆や真髄を言葉として発してしまう。

 

言葉は人の鏡でもある、言ってる人も聞いてる人も、見た人も読んだ人も、気づかないうちに心や身体や精神に浸透してその人を創っている。言葉は生きていて変化もしている、日常にいる場所や環境で言葉が成り立っていることもある。

 

     行動

 

毎日、日常化している行動がある、それは意識もしてない日課だったり、何かの結果だったりして、それがトラウマやミスからきていたり、それが成功や収穫だったりして無意識に蓄積された経験からその行動は、始まっている。表面的には善とした気品のあるような動きを心がけても、日常化している動きや行動は瞬間瞬間出てきてしまうし、仕草が隠しようのない動きとしてでてしまう。意図せずに逃げたり暴力に出たり、コントロールしようとしても  いやコントロールする事態それは思考であって行動ではない。

 

     エゴ

 

執着や クセや 優しさや 傲慢さ 自分のために 人のためになどが混在としている至って人間的なものがエゴである。よく忌み嫌われていたり、手放すように直すように言われているものだが、確実にこれは個性でもある。私はこのエゴがその人を育てる種でもあると思っている。執着を手放せとか断捨離を言われる昨今、それは確かに主がいなくなるとガラクタになるものであったり、ゴミな気持ちであったりしたとしても、それが意味するものは人にはわからない、その人のエゴであり、愛すべき個性であるし、悪習であったり、愛のカケラだったり。互いに理解はできなくても、その人がエゴの中にいる。正したり、手放したりして成長を促されるがそれができなくて、いつまでも抱えていて、それ自体がわからない事態が個性である。それによって嫌われたり好かれたりしていることや、迷惑を感じられたり、安心を感じたり、実はそれを抱えることで苦しんでたとしても、そこはその人の世界であり、成長であり、居場所でもある。助け合ったりが搾取と奉仕だったりを経て、経験することで真の自分に気がついていくのだと思う。成長するため、自分のエゴを押さえつけていい人や心の大きい人に無理に思考でなるのではなく、深く静かにエゴを見ていく、否定するでもなく暴走するではなく、生まれてくるエゴを傍観して、感じてふらふらと揺らいで、それでいて凛とした自分に立ち返り、固く決めつけることもなく、大きく揺らいで自然に凪て自分を感じる。自分の感情と欲望と感じて客観的に傍観する。拒否をしたり追い出したりして否定をすればするほどエゴに取り込まれる、聖人ではない、人間はこのエゴが自分であり、嫉妬  執着  未練  欲望  希望  切望   孤独  傷  観察と傍観。

 

     自分に気が付き受け入れることが自然で幸せを引き入れる

 

結局どんな状況やどんな人や自分でも、受け入れる 気がつく 否定しない  我慢しないでいろんな角度で見たり感じたりして現実を直視する。そこに期待などで目を曇らせずに、需要する 多角的に見通し 何かいろんな現実で心を落ち着かせる。予想や期待や未来を過度につけずシンプルに物事を現実に落とし込む。時に悪で時に善で、時に優しく時に冷たく感じていても、底には本質や真髄が隠れてて、表面に出てくるもので誰もが惑わされて、たくさんの自分やあなたがそこにいる。すべての断片をかき集めて、現存する今を受け入れる、理想的に考えず、一方方向だけでジャッジせずに、断片がすべて自分やあなたで見えているのは、自分やあなたの分身で、それがエゴだったりしたとしても、直すとか消すとかではなく受け入れて、自然に返していく事が自分やあなたを知り癒す事ができる。

 

       私は人や自分が嫌いだと思っていたけれど、寧ろとても愛してた。

 

人に距離を置かないと疲れていた、私は人が嫌いなんだと思っていた、広く浅く合うポイントだけの付き合いや縁でいいと思っていた、現に友達付き合いの中でもそうしていた、私のことは知らなくてもいいからって、本当は一人の人を深く知りたいし愛したい、深く知られたいし愛されたい。密着した関係が苦手だと思ってて、好きとか嫌いとかだけではなく色んな人を知りたいと思っていたけれど、出会ってしまったから 本当はその人を深く広く知りたい 良いとか悪いとか 好きとか嫌いとか 裏切る裏切られるとかじゃなくて奥の奥まで私たちが混ざり合い、補い合い、助け合い、憎しみ合い、愛し合いそんな感情を共有して存在を確かめたい。共依存のような依存し合うのではなく、自立してお互いを尊重して、一人の時や二人の時が必要な時間で、それが自分ともう一人の自分だったり、それが男と女だったり、そうした深い繋がりを求めていたのだと知ってしまった。

 

    傲慢と謙虚は同じ軸

 

幸せと不幸が同じ軸で、綺麗と汚いも同じ軸で、優しいも冷たいも同じ軸で、傲慢と謙虚も同じ軸でそういった反対に見える物は、天から見たら同じものの列で、強いと弱いは同じ軸で、表裏一体なわけだから、そこは人間の中にあるもので、見えてる部分があるならそれは誰もが持ち合わせていて、それによって振り回されるのだけど、それは自分にも人にも受け入れることが大切だという。純粋に深く知ろうとしたとしても、結局相手を知ろうとしても自分を知ることになる、深く静かに浸透するものがそれが愛だと感じる。初めは生活や生きていくため、食べ物を食べ、眠り、人とのコミニュケーションのため、話したり関わったり、そして欲望とかして自然に振り回される。見ると愛という名の縄に縛られて、身動きできなくなりながら ありとあらゆる何かを求めて生きている。多分誰もが愛に振り回され、欲に振り回され、だが全てをなんの苦労もなく得てしまうと、なぜか生きる気力を失う。幸せでも不幸せでも過ぎると途端に生きる意味が気になりだす。ちょっとした毎日の循環で、全てのことが共鳴しあい共存しあい、原因と結果の繰り返しで、本質を無視していても、帳尻があってくる。とっても小さな優しさが巡り巡って、結果が回ってくる。その大きな循環は見えなくて、日々の出来事が本当は存在してるみんなとの影響が知らない水面下で繰り広げられてて、確実に巡ってくる。そして本当に目指しているのは幸せという名の無償の愛、小さなコミュニティでの愛の循環も、浸透して大きな海原となって、人々や環境が影響し合う、幸せとは誰もが経験をしているどんなことでも最後には、社会が愛に満ちていくほうに進んでいる。少しでも自分を取り戻して本来のするべきことを誰もがやり始めて、国ごと地球ごと愛の星になろうとしている。

 

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屋号 Sowelu.keiko kadoto
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大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
営業時間 10:00~18:00
定休日:火・日
代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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