優しさの闇
自分を愛するということ
すごく繊細で、すごく気が利き、先読みして、助けようとする、エンパスという、性格ではない、生きていくための試練。
支配的な情景が蔓延している、常識に、浸かっている人たちが、自由とか誠実とかを、ねじ伏せようとする、そう、だいたいが、責任転嫁の、投影を、人は、空気を読めとか、当たり前とか、集団的和を、実際は、自分の投影を人に向けて、優しさを、自由を誠実を攻撃することで、正当化する無様な姿は、相手じゃない、自分を相手に見ているだけだ。
捕食者や支配者や過保護者は、優しさや誠実さや保護力やそういった愛を狙ってくる。
その人たちは意識的に無意識的に、自分がもらうものだと信じて、被害者のつもりで、加害者になる、それは、愛は人からもらうものでも、人へあげるものでもない。
自分で自分を愛し、解決していく問題だ。
自分がわがままなら、自分がわがままを聞いてあげる、自分が冷たいなら、自分が優しさをあげる。
もちろん全て自分で、できるわけでもないが、自分の領域は自分で解決し、解消する、さみしいのは自分に無関心で、苦しいのは自分に厳しくて、楽しいのは自分との会話ができつつある、イライラも、感情や身体が何かを訴えている、全てがとはいはなくても、ほぼ、自分の内面や身体で起きている。
自分とうまく付き合えてない人が、支配者やパワハラ、モラハラ、セクハラ、被害者や依存者になる。
仕事仲間、恋人、家族、親でも子供でも、友人が、愛という優しさや、弱さに見えるところを狙って、ゴミを捨ててくる。
最も、近くて親密になる、演技のない関係でいないといけないのが、自分で、親しい人、家族、恋人、友人、そういう近くの人ほど、嘘や偽りで、暴力でも、優しさでも、コントロールや利用することで、傷つき、裏切りが起こる。
暴言、暴力、過保護、過干渉、優しさや被害者や弱さを武器にして、自分の解決できない問題を人に押し付ける。
そういう人に対して、優しさや、庇護欲、助けたいという気持ちを時には、内向的で、直感的で、なおかつ論理的だったり、外向的だったり、そういう両面を持ってたりして、連続性を読み、分析して、人の痛みを読む。そんな人が優しさや我慢強さや、自己犠牲的な優しさに変えて、助けることが、闇となり、毒となる。
ところが、こういう人の痛みは、誰も気が付かない、利用されたり、搾取されたり、でもね、それは性格というより、生きていくための、方法。
自分の弱さや、情けなさ、プライドのために、外に放つ人たち、この人たちは、優しく、誠実なエンパスをゴミ箱にする。
優しさに甘え、自分の毒や、自分の不甲斐なさ、情けなさを、解消するため、外に向ける、責任転嫁して慰める、解消はしない、闇や毒になるだけ、自分を蝕んでる。
人に対して見えてる嫌いで嫌な面が、自分の問題だという、人を見て、自分を知る、そこからの解決だ、知る、許す、改善する。
別に、自分に正義や正しさを押し付けることはない、自分を知る、許す、人間は完璧ではない、だから、自分も人も完璧ではない、人の気になるとこが、自分に関係しているだけだ。
エンパスは、それを汲んでる、意識的に無意識的に、そしていつかそれが自分の毒でも闇でもないから、汲み取っても、空気を読んでも、癒しても、意味がない、むしろエンパス自身を蝕んでることを、知っていく。
優しく自己犠牲的にやりすぎる、がそれは人間、ある日急に水は一杯になって、エネルギーは枯渇する、そう、優しさや慈悲深い、誰にも分け隔てなく、看護師さんや介護士さんみたいに、いつも笑顔でっていうのが、いつか限界がくる。
水は一杯、エネルギーは枯渇して、体調を悪くして、味も分からず、歩けなくなったり、倒れたり、病院で調べてもわからない。
そう、そんなに優しい人や慈悲深い人は、限界がくる、周りが誰も自分と同じくらいは、優しくない、助けてくれない、慈悲深くもない、誰もが当たり前のように、奪っていく。
少しずつ削れているような、そして浮腫んでいるような、誰かのために、というが、一方的にはできないわけで、バランスが同じだけ求める気持ちもある。
タダ優しいだけじゃない、当たり前で、喜ばれもせず、なんなら文句を言われる、嫉妬される、いじめられる、それは、報われない。
そこで、少しずつ削れて、むくんでいくと、闇が現れる。
そしてネガティブな感覚になり、全てが、もうできなくなる。
屈しない揺るがない、強さは、崩れ去ったあと、立ち上がる、もう犠牲で踏ん張って、意味のない、搾取にあってから、運命が始まる。
人間になる、強さは一人で背負うものではない、新しい、強さ、自由さが始まり。
その時、なぜ起こるか?
そこからが本番のだった、いったん全ての自分の中をさらけ出し、優しさは欺瞞だったりする時も、自己肯定観を上げるときや、人に必要と思われるように、してたり、少しずついろんなものを溜め込んでいる。
これの開放が、次のステップ、ネガティブな感情もポジティブな感情もすべてされけだして、優しさの闇や光を、並べるのだ。
次は、自覚する、限界ややり過ぎや、必要のない優しさを、おせっかいだったり、行き過ぎてたり、過保護だったり、それを知る。
総攻撃で、恨まれたり、責任転嫁されたり、理不尽なありもしない責任を、さもミスのように押してくる世界からの卒業だ。
いったん、どん底になる、全てを変える、根底から、共感力や気を利かせるや、人の仕事や試練を背負わない。
そう、完全に見えている、読めている、先も見通せている、もう、ゴミ箱じゃなくて、預言者となる。
なぜか、人の痛みを背負わない、が、結果どうなるかは見えている。
人に責任転嫁して、自分のゴミや闇や影やそういうものは、本人に引き取ってもらいましょう、自分で、解決して乗り越えてもらいましょう。
エンパスは自分を抱きしめる、感情や感覚は知るだけでいい、優しく自分で抱きしめる。
うわべの先の本音や弱さ、滑稽な仮面の奥が、透けて見える人たちを、本当の空気を読み、先を読み、自分とは関係ないものの責任はその人たちに任せて、もう、人間になるのだ。
もう、自己犠牲的なとこまで進ませない、新しい、自分に目覚める。
優しさも、ある意味踏み込みすぎると、自分にも人にも良くはない、そこの見極めと新しい、本来の自分、環境や人間関係で、エンパスになったからこそ、無意識や潜在意識の自分になる、要するに、本当の自分、本当の自分なんてあってないようなもので、だから、たくさんの傷を作って得たエンパスを、バージョンアップに、強くなる。
それが、たくさんの試練や山を登ってきて、もう、一人で責任や、我慢をしていかなくていい。
優しさの闇は、支配と服従に、コントロールする手法。もう、それを口に出して、言っていい、もう、人を意味なく助けたり、肩代わりしなくても、それぞれの責任は自分で背負うべきと、分からないふりして、人に背負わす人には、せおってもらいましょう。
そう、人に見ているものは投影で、自分で乗り越えましょう、イライラや怒りや屈辱や情けなさは、自分で作り出している、それを人にぶつけても仕方ないと、教えてあげましょう。
三文芝居や仮面舞踏会を、家の中や仲のいい友達や恋人、子供や夫や妻に、いくらやっても、相手を壊すし、自分も壊れる、自立しよう。
大体のことは、憎しみ、イライラ、怒りや嫉妬は、人に投影しているので、それを、相手のミスとして、感情的に、理性的に説教してくる人は、自分でやることだと、言ってあげましょう。
もちろん自分も、人に投影しているのだから、これが何か、自分で解決するんです。
それが、成長というものです。
優しさには、たくさんの闇があり、うまくねじ曲げて、罪悪感や、責任感を押しつけられないように、完全な人間にならないでいい、人間、そのままの人間でいい。
あとはそれぞれが自分の感情や体調は自分で管理すればいいこと。
そして、エンパスは自然に、見て感じて感覚を、誰かにぶつけるんじゃなく、言葉や芸術や音楽や文芸やスポーツとして、アウトプットしましょう。
そして自然の中で大きく息を吸いはいて、足やて、身体で自然にふれあい、新鮮な空気を取り入れましょう。
自分を愛するということは、自分に正直になることで、ネガティブだろうがポジティブダロウが、光や闇は人のものと自分のものを区別して、自分を受け入れましょう。
人間でいましょう。自分の声を聞きましょう。それが悪態だろうが、歓喜だろうが、自分の声を聞き、自分で癒しましょう。
そこには一緒に笑ってくれる人がいる、もう、三文芝居をしないでいい、誰かが、自然が側に現れる。
どこかの誰かにならなくていい、演技が必要な人とは距離を置こう。
その人は自分も人も、見えない無関心の虚栄の世界の住人だ。
一生、その人には会うことはでいない、だって、その人は誰かを演じてるのだから、そういう人は、人に責任転嫁する、投影を人に押し付けて、逃げる。自分も人も観ることができない弱虫で、そういう人は、虚勢で、自分を演じてる。自分として生まれた意味がない、ずっと誰かになっている。
そういう人とは、誠実でいることも、正直でいることも、ましてや助けたり、甘やかしても意味がない、存在しない誰かでいる人。ほっときましょう。
自分を愛することから、あらゆる縛りや苦しみや、解決できない人の痛みを手放しましょう。
はじめは、知らず知らずにエンパスになって、そこから、見えるものと見えないものの世界を見ることもでき、今度は、自分を助け甘やかして、愛しましょう。
ネガティブな感情も、人やものにぶつけるんじゃなくて、そう、タダ認めてしまえばいいだけで、自分を人間として、見ればいいだけ。
だし方は、意識して、芸術やスポーツに発散すればいい。楽しいこと、好きなこと、あきらめたやりたいことをしましょう。
それが自分を愛する第一歩。
後、人生のキーパーソンは、この、略奪者、支配者、強奪者、弱い人、依存する人などの親しい人人が、人生のキーパーソンで、自分を目醒してくれて、成長させるきっかけをくれる、そう、幸せにうまくいく愛のある人だけではなく、傷つけて、コントロールをしようとする愛のある人もいる、この人は一緒に成長するための人、だから、近くにいる、最も傷つける人、その人もエンパスや、優しさのかわりに搾取されたり、いじめたりしてきた人が、ともに覚醒、成長するための人もいる。だから、近くに、親密になる、仮面のかぶれない距離にソウルメイトとして存在している。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
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屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
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