Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

量子力学とスピリチャルを使って解放。

 

      量子力学とスピリチャルで今を見る。

 

今、何か内観と内省と聞こえがいいが、現実的には何もしていない。

自分を整えてるっていうか、サウナ道みたいな、サクッと自然にハマるというか。

もう頑張るとかなく、とにかく自然体、朝、起きた時の感覚で一日が始まる、嫌な夢を見たら、気分が悪いまま、朝から体の調子が悪ければ、悪いまま、悪いからといって、何にもなく、悪いって感覚だけ、朝から気持ちよく起きたら、ワクワクしたり、何か行きたいとこが思い浮かんだら、そこに行く。

ハーブ園とか、大きな公園とか、神社とか、あまり人が多いと、余計なものがまとわりついて、疲れる。

本当は人の手があまり入ってない自然の場所が落ち着いたり、苦しかったり。

以前は友達や知り合いに連絡してみるけど、何か合わない、もう違う波動になったのか、居心地の悪いモヤモヤ、自分が疲れたり、断られたり。

そこで、何か感情的な処理をすると、善悪みたいな、分け方や、好き嫌いみたいな分け方で何かうまくフィットしない。

そこでああ~、スピリチャルだと、波動が違う、いる場所が違う。

これを量子力学でいうと、粒子が遠い、引き合わなくなる、視覚すると別々の粒子を引き合う、本当はどの粒子も、動いていないいえ緩やかな動き、とどまるのではなく、絶えず揺らいでいる、等間隔の同じ場所にいるように見える。

スピリチャルも量子力学も時間が違う動き、今とか過去とか未来とかではない。

これは粒子たちの動きは、自然に動く、引き合い、反発しあうが、それは波打たように、風が吹くように、人間が思考する、当たり前ではない。

もっと大きなうねりの中の一つだが、一つ一つは独立しているが影響し合ってる。

そこを整える、整理整頓とかではなく、ピタッとハマる場所に自然に、流動的に。

だが、今はなかなか落ち着かなくても、場が波動が整っていないのか、もしくは共鳴しているのか。波が、周波数が、努力が、物理的近くて、共鳴や響き合うかが、内側の自然さが、無理のない場が出来上がり、つながり合う。

外側の努力や相性ではなく、条件や目に見える物質的なものではない、つながり。

それは特定の誰かだけというのではない、絶えず流動的に粒子は動いている。

波、周波数、が自分の内面の場の整えたことにより、本当に響き合う人が訪れる、引き合う、偶然に見える行動。

言葉で響くのではなく、話さない無言が自然な波が響くのです。

それは遠い物理的には遠い存在でも安心感があり、むしろ近づいて話すことが、もしかしたら、嘘をつくことで障害となる、嘘でもなくても、努力して繋がろうとする、言葉で繋がろうと無理をすることによって、波が乱れて、誤解が生まれる。何か違和感やモヤモヤのある関係は、決定的な何かがなくても、お互いの内面の乱れからくる波動の違いになっていく。

これは自覚しないと、より無駄な意味のない努力が障害になって、離れていくのかもしれない。

はじめから努力が、必要な関係は、どこかに無理があり、波が崩れてしまうのだろう。

私はそれを何か言葉にして、理解していきたいとも思う。自分の波も人の波も、感じていても、言葉として自分の場を、右脳と左脳の架け橋にして、より場が整うことをしている。

それを探求する、分析する、内と外のバランス、見えないものと見えるもののバランス。

波を感じ、言葉としても理解できたら、合わない人への理解もでき、モヤモヤの意味もわかる。

別につながろうというわけではなく、探求や分析、知りたいだけなのだ。

しかし、合わないのかどうかは波や波動で感じても、共通する言葉がなければ、言葉が障害となる。共通の言葉は、合うと、腑に落ちたり、共鳴したりして、言葉が少なくても伝わる、繋がれるが、もとより、共鳴や合っていなければ、どこまでいっても繋がれない、わかり合えない。自然に生きてる日常の当たり前が、ルーティンが、波や波動や周波数でもある。

そもそも同じ場にいないのだ、これは宇宙人と話しているようだ、そこで言葉を重ねて探る、意味を知ろうとする。

私たちは量子力学でいうと、粒子、それが波打ってて個性ができている。

あくまでも日常の生活が場を作っている。それが本を読むとか、ゲームをする、登山をする、音楽を聴く、人と遊ぶ、自分との人との関わりで自分の世界を作っている。

あくまでも自分の世界は自分が主役、得てして、人との関わりで、人に合わせたり、人の言いなりになることが、愛と思われるが、愛はあくまでも自分が軸で余力や余白で重なり合うこと、だから、好きっという感情のような波ではない、何か条件をつけるのは、自分を愛していない、自分が整っていない、乱れた状態の執着、こうだから、自分が存在するみたいな、他の人やものや価値で言い訳して自分の存在の証明に使っている。誰もが尊くて、自分を信じるように、魂に正直に純粋な状態だと、いい人になることも、空気を読んで苦しむこともない、自分や人が存在しているのは独立したもの、粒子だ。

その粒子が自然に動くことによって、奇跡とか豊かさとか、そういう魂の道を歩くことによって、思考の作った自分に惑わされることなく、苦しんだり、笑ったり、悲しんだり、楽しんだりして、自然に自分の中で流れていることで、奇跡に見える偶然の塊の必然に出会う。

あくまでも自分の場にあった、自分の世界に合ったその今が訪れる。

そして、ああでもないこうでもないという、思考の罠をかいくぐったり、思考に助けたりして、純粋に生きる。

多分、魂の声の対話をしない限り、純粋にはなれない。

徳も損もない、悪も善もない、無という∞の中で自然な状態が魂が心が身体が思考が一致した時に純粋な自分、正直な自信が現れる。

それには場にノイズを減らすことが重要で、全てが無になることで、ズルや、努力や、苦労や、支配や損でもない徳でもない、富や豊かさや愛が顔を出す。今の常識はそれを奇跡と呼ぶ。だから、繋がっている、心や魂のある、自分と共鳴するものは。そして動きはゆっくりで、例え、悪いことのように感じたり見えても、それにより、真実を知り、未知も見えてくる。

奇跡は急にやってきたのではない、永い時と思える時間の交差から来たもので、それは自分にしかわからない、でも誰かと共鳴したり、ものと動物や植物、地球と共鳴してできた実体なのだ。

そしてそれは結果としては不幸呼んだり、幸せと呼んだりした現象なだけで、仏教で言ったら因果応報、原因が合った暁に、時の流れで、粒子が流れて引き合っていった結果。

病気や死が悪ではない、全財産をなくすことが悪でもない、そして原因が全て自分でもない、そうして粒子は引き合い反発しあい事柄が起こる。皆が影響し合って地球の一部であるがために、自然に動いてたりしている、波紋である、周波数である。

そして永遠なものであり、全くかかわらない間に合わないものがあるともいえる。

常識というその社会の空気に翻弄されて、自分を見つける旅ともいえる。

それは孤独でもあるが、独りでは、辿り着かない旅でもある。

永遠の愛を探していても、自分愛がなければ、人に写した愛探しは永遠に来ない、全てが、人に見えるものは自分が植えた種を見ている、愛が欲しければ、親や、恋人、夫婦で見つけるものではない、自分が自分の世界で自分を愛すること、そして溢れた愛で人を愛することで、愛を見つけることになる。

簡単ではない、たくさんの経験と優しさと冷たさを経験して学んでいき、それが片寄らない真ん中の状態。

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大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
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代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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