怠惰
現実の奴隷
私は仕事をするのが好きだった、好きなことは勿論、嫌なことでも仕事ではなんとか一生懸命どうしたら上手くできるか、綺麗にできるか、段取り良くできるか、早くできるか、人の求める物ができるか、自分でも納得のいくものができるか、何が何でもできる完全性に近づけるか、その時に関わる人間関係を円滑にできるか、例え嫌いでも表面的にでも上手くやる方法はどうする、努力すること楽しむこと、自分の全てを使って完全なものを突き詰める。例え価値を認めてもらへなくても努力すること、きれいでもクリエイトでもないことに辟易しながら、それは仕事だったり人間関係でもいつの間にかそういうふうにやっていた、友情や愛情もいつの間にか仕事をするようにやっていた、自分をすり減らし、人にへつらい、度を超えたやり過ぎなくらい、爆走をし続けた、休みには泥のように寝る、隙間を空けない、考えさせない、忙しく時間や余裕を埋める、価値を仕事に求めて何かを埋めていた。何故そうなったか、それは運命に出会って自分にはどうにもできない渦にいること知ったからだ。自分ではどうすることもできない欲求に目をそらすために隙間なく時間を費やすのだった。気がついたら、自分をみないで暇をつぶしてるだけなような、どんどんどんどん目標だ、成功だ、上というものを目指して、今も見ず足元も見ず、ボロボロになりながら、心の傷や穴を埋めるためにただただ外を見て思考も外のことだけに注視して、生きていたのだ。
ところが体も心もボロボロで生きていく時間もないと知った時に、わかってて薄々はやってた内省を始めた。その運命の渦にいた時にも内省のつもりで、反省と否定をして、もっとボロボロになったことを覚えてる。今は何もしない、段取りも考えない、隙間も埋めない、傷にも蓋をしない、目標や夢も目指さずに極端に今しか見ていない、怠惰だ。自分の全てを晒し、今楽しいことをする、食べたい時に食べ、寝たいときに寝て、人も自分も縛らない。正しいことをしない、やりたい時にやりたいことをする、自由だ。幸せのために、内省して毎日歩いたり自転車に乗って空を撮る、毎日植物の水をやる。苦しみの日もあれば、喜びの日もある、現実は何も動かない、ただ日々が過ぎていく、だからといって楽でもなく、達観できない未熟な自分は、表面では穏やかに内部は嵐が吹き荒れている。あの時やり残したことをしている、現実を見る真実を見る、自分も人も否定も肯定もしないただ体験する、いつものように思考に横槍を入れられながらも、しっかり今を感じる、現実には何も起こってないこと目に見えないことを追体験してるだけだ。何も目標も持たず、何かを目指さず、希望も持たず、ただ漂ってしっかり感じる、怠ける、怠惰になるわけだ。何度も過去や未来に囚われて、苦しみもがき喜び興奮して、また平常に戻るを繰り返してる。希望がないわけでもなく、寧ろ希望を無くすと闇に落ちていくのだが、何もかもが幻でうつろいであることも知っている。だが感情が左右にぶれて生と死を見つめることとなる。現実は少しも動いていない、毎日が毎時間が決まったときを刻むのではなく、時が流れているのだ。ただ自分の枠や殻を降ろしているだけだ、そこにはなんとも言えぬ喜びと苦しみが混じって、身や心の置きどころのない自分がいて自分はいない状態でもある。一生懸命積み上げていたと思っていたものが幻で、何も無い無が存在してることに気がつくが、また自我や欲望が顔をもたげて、感情や理性を掻き乱し、自分という無のものに色を付けようとしてる。特に禁じていた欲望が何事もなく現れて、私はその意識を受け入れる。別に何かをするわけではなく、ただ受け入れる。抵抗する何かを探りながら、何故禁じていたか理由も忘れて、違う世界を感じる。
自然に生きる、今を生きる、何かになろうとせず、自分の心のままに生きる、間違ってるとか正しいとかではなく、人や自然や自分の何かを感じる。人間なのだから全て欲望や喜びや嫉妬や苦しみを受け入れる、昔やった内省のつもりで自分を制したりしない、ありのままの自分を受け入れる、理想の自分と比べない、今この時この時を感じる。自己中でわがままなどうしても諦めない自分も受け入れる。自分を蔑ろにしない、自分を罰しない、勿論人にも現実にも制したりしない。今あるその人や現実を受け入れて体験する、苦しかったり楽しかったり、自然に感じる心を体験する。自分の思うきれいでなくても、理想でなくても、やっぱり希望は胸に抱いて、安定を受け入れて変化を受け入れる。感じる心を感じる、逃げ出さない偽らない。ポジティブやネガティブにこだわらない、ポジティブやネガティブはおんなじなのだから、良い悪いでは本質はわからない、だからその時の感情で現実を見ない。どうしても耐えられないこともある、受け入れられないこともある、ただ感じるだけだ。同じ時はない、同じ人はいない、同じ自分もいないし、同じ空はない、同じ山もない、全てが一期一会、今しか存在していない。思いや願いや楽しさや苦しみも同じ感覚もない。全てが今でしかないし今の連続なのだから。同時にたくさんの今が存在してて、たくさんの現実が存在する。今は幻で今は現実だ、全てが自分で今を作っているから、未来も過去も思考が作り上げた幻だ、でないと同じ時間を共有していた人に過去の話をしても、同じストーリーではないことがわかる。一緒にいても同じ物を観ていないし、同じ場所にいない、たくさんの今がたくさんのものから作り上げられているだけだ。
正義でも善い行いでもなく、受け入れる緩やかな気持ちで、嫌とか嬉しいとかもそのまんま感じる、その時のその場面で、それを思考でこねくり回さない、怠ける、怠惰、いい意味で現実を怠けるのだ、必ず不安な思考は正しさや、損しないように危険に遭わないように現実を捻じ曲げて、不安を煽るが、ただその思考から怠ける、怠惰でいるだけだ。あまりにもやりがいにこだわった、やれどやれど、あくまでも自分の世界での話、誰かのためにとやり続けても、徒労だった、笑顔もない、嫌な言葉や暴力を受ける、人の試練に首を突っ込むことはない、なんの力にもならない、迷惑な行為だ、燃え尽きてしまった。だから自分を大切に愛する、それは人も大切にできて愛せることだから、よく見せたり、誇張せず、悪く見せたり、バカのふりをせず、遠慮したり卑下したりせず、素直に怠けることに徹する、怠惰にして余裕な目でしっかり生きていく。
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Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
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屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
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