Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

自分軸と自我軸

 

      直感とエゴ

 

本来自分軸と自我軸とではどういう違いか意識的に思考的には全く違うのに現実世界では自分軸というよりも自我軸とがこんがらがっている状態だ。自我軸とはエゴであるが生きていくには必要でもある、それは対局が他人軸と常識ではなっている。不安やネガティブな感情や罪悪感や承認欲求や他人をコントロールしたいなどの意識は 、肉体を持ってる以上そういう意識はないと、生活や肉体や意識が崩れ去る。エゴやネガティブは自分を守る一つの方法ではあるが、対局のポジティブなどとのバランスが必要である、自分軸とは頭で考えたりする思考とか今までのクセやエゴでは全く違う次元の軸ではあるが、生きていくのに現実世界では自我軸を自分軸と錯覚して当たり前の他人軸が良い思考とした常識が、自分軸を阻んでいる。

 

私は日夜思考や考察を楽しんでいるが、大事なとこは全て直感で選んでいる。だから瞬間の心の声を聞いてそれがほとんどの決定権を持っていて、作品づくりや、日常的な選択でさえもこの直感を大事にしてるので、学校のテストでも勉強をせずに一夜漬けもせずに、朝やテスト前にちらっと教科書を見る、不意に写真で撮ったかのようにそのページを記憶する、意識せずに多分山勘である。とか授業中の見た記憶で答えを書いてるが、実は本気で勉強してなければ覚えていない。関心がなければ覚えていないという弱点もある。

 

例え話で脱線したが、人に考えを瞬間説明できないことがあるのは勘で決めているから、説明は思考で整理して喋るのである。そこは論理派のようで感覚派で物事は処理している。もし自分軸で全てエゴを使わず生きていくには、かなりの鍛錬が必要で、ともすればエゴにならないように気をつけたがために他人軸となってしまうこともある。介護の時に無償の愛を試そうと思っていたが、結果お母さん中心の他人軸になってしまった。まあそこで命を落としかけたのだが、よく考えるとドラマや映画で見る優しさが自己犠牲ややりがいで成り立っていることがあるのは、そういうふうに刷り込まれているのだなっと思って、利用する人と利用される人みたいな歪な関係を生むのだなって思う。エゴは必要最低限には肉体や精神を健康に保つためには生きている以上付き合い続けていくことで、搾取とか自己犠牲のようにならないためには必要だ。

 

よく恋愛や親子で関係が主従関係になってしまったり、依存関係なってしまうのは、健康的なバランスの関係がなかなか難しい、従来の生活の中では友情や愛情や師弟関係とかの上下の関係で人間関係が、成り立っているからどうしても平等なバランスの取れた関係が少ない、長年代々伝わってきたコミュニケーションがこういう関係なのだ、多分生まれた時は自分と他人との境界も分からず一体としてるが、まず自分の指とか自分の願いを叶えてくれる世話してくれる人まで一つの世界と感じるが、思い道理に進まないため、自我やエゴが生まれて、自分を生きさせるための努力を始める。いつしか他者や身体とか分離に気が付き、他者にどうにかして自分が生きてくために可愛かったり、甘えたり、依存したり、自立したりと対人や物の分離でエゴを発動する。

 

なので生まれた環境や人間関係などで培われて育っていくのが、自我軸だったり他人軸だったり。そこで全くそういったとこからではない自分軸という奥底の魂の声や不思議な事が起こる、別次元の声があることにも築いていく。現実世界とはかけ離れた見えないもの見えない次元世界がそばにあることを魂の声やもう一人の自分の声に動物やものの声からもアプローチされるのだ。思考や理性では解けない別の現実世界。

 

生まれてきた意味はそこに気が付き自分を取り戻し、あらゆる体験をして広く大きく広がる世界に気が付き、生きてる幸せ、体での体験、そして自分以外のあらゆるものとの対話だったり、融合だったり、外に見えてるものが全て内にあること、感じること、気がつくこと知ることの幸せを見つけるために生きてるし自分軸を使い、自分で受け入れて判断して外の世界も内の世界も赤ちゃんと同じたくさん分裂してるが大きな一つだということを感じることが大切だ。何か発言したり行動したり、誰かに何かを受け取ったりされたりしたことも自分が全てやったことの回ってきたことということを知るべきだし、死ぬまで学び続けることだと思う。

 

いろんな関係性に上か下かというのが当たり前のようにあり、損か得かで整理されているから必ず上下でしか関係性がないのだ。それは人間をものに扱っているわけで、気薄な人間関係が当たり前になっている。本音を言わない、空気を読むとかが当たり前で、実際は日常的に会ってる人のことは親しくても知らない関係である。最近これにかなり辟易したものだ、たくさん話していても土壌が違えば全く出てくる花は全く違い、長い時間親しければ親しいほどこの人と何を喋っていたのかと愕然とする、全く理解し合えてない、薄ら寒い関係なのである。

 

だから昔は広く浅く付き合っていたと思っていたが、それが苦痛になり、仮面で付き合っても意味がない、顔見知りの知らない人が増えるだけだ。ただ、ズカズカと土足で入り込むわけにはいかないし入られるのも嫌だし、入り込んでも仮面や嘘で話しているのは虚しいだけで虚構の現実を見ても仕方ないとも思う。自分自身の見方をたくさん取り入れたので余計に虚構や仮面が無意味だということもわかる。

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そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
住所 〒551-0021
大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
営業時間 10:00~18:00
定休日:火・日
代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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