Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

価値感はなかなか合わない

 

       人それぞれ違うと言う事の価値

 

人にそれぞれ好みや価値感や大切なものがあるように  私にもある、人は皆個性的で全く同じ人はいない。

類は友を呼ぶというが、何が類なのかは人あたりだったり、価値感だったり、居心地のことだったり、だが全く違う価値感としても、受け入れる事が自然なら類ということになる。

しかし人は変化してる成長や後退してるから、永遠ではないことはよくある。

まずは人は考えや好み価値感が違うということが根底にあって  違うから嫌い合わないという考えの人が多くて、似ていたり共感出来る部分を重視する人が多い。

表面的には合ってると思っていても、何か違和感があったりして、この人と私は合うと一部のところだけを見て、全部合うと理解してしまうところもある。人は表面的な容姿とか服装とか口で言ってることが全てではない。

むしろ違うからこそその人間だと思うし、人を知りたいとも思い、長い時間をかけて人となりを知りたいとも思う。

その中でも価値感に人や自分を侮辱するものや、見下すものや、道具とした利用しようと言うことを平気で言う人もいる。

流石に私は容認できない価値感には、がっかりするがあえて、その人の価値観に口を出すこともない。

よくあるのが、人より仕事を優先することや  人よりお金や地位を優先する人は多い。

確かにその場面での順位は選択の一部だけれど、偏ったり、言い訳のための仕事優先は、私には容認できないし共感しない。

だからといって合わない価値感にイライラしたり、怒りがわかないわけでもない、というのも人の命や存在の否定や侮辱と言ったことに関することには怒りを覚える。

私は常日頃価値感が合う人がいないとも思ってるし、言ってもいるが、価値感が違うからと言って嫌いとは言ってない、その人が大切ならその価値感を知ることからはじめる。

違うところがあるからこその  凄く人間って深いなぁとも思うし、合わないことを同調することもないが否定も必要ないと思っている。

なのにこうすればいいああすればいいと、その人と関わらないアドバイスをする人もいて、それが人だけでなく  文化や職業や出来事などにも それぞれの生き方があるのに、そういう人たちを拒否する、いないと考える人が多く、存在を無視してるのに、そのやり方が正しいと思う人が多く、そんな人はあなたの周りだけだよって言ってくるが、いやいやそう言ってるあなたも変わってるよ、あなたと同じ人みたことないよとも思う。

わからないということが不安や恐怖を感じ、排除することが正しいと思っていることがある、それは正しいし間違っている。

それこそが民族的対立や宗教対立などの、戦争や土地の奪い合いにつながっているとも思うし、周りのよくあるのがイジメや暴力などの  無意味な攻撃やものの奪い合いなのではないかとも思う。

ただ痛い目も遭えば、大切なことを見つけることもある。

今や多様性の時代でもいつまでも  古い価値観に囚われている人が多い。

そうしてそんなに人は  見えること話すことだけで人を知ってると思っているが、どんなに仲が良くても本音は話さない人が多く、やはり羞恥心や弱みはいくら仲良くても話さないとも思う。

自分の性格や自分自身の思考での価値感でものを見ているから、人が同じに見えている。そして自分の価値を押し付ける人がいる。

実際自分自身も自分のことはわかっていないからこそ、不安をいだきやすい。

よくこの価値というところを、自分との違いが許せない人が多く、こんな人がいる、あんな人がいると私はいろんな価値感の違う人の話をするが、それを悪口や陰口にとる人がいる。

純粋に色んな人や文化や価値感も知ってみたいし、その人を出会ったからには知りたいとも思うが、自分自身が容認できないこと以外は、価値観の違いで関わりをやめることもないし、嫌うこともない。

私の容認できないものは、人が違う、同じ人は居ないということを知らない人、人を傷つけたり些細なことであってもその人の尊厳を否定するひとが嫌いだし、怒りが湧く。

そして思いのほかそんな人は多く、そんな人は私が思ったことを言うと必ず、否定的で傷つけてこようとする、悪気はないことが最悪だとも思う。

私は文化的にも男女であっても  国の違いや生きてる時代も違うと  価値観は違い、その情景の周辺や家族や学校とその価値感に毒されているとも思っていて、自分というものは普通わかっていないとも思っている。

ただ知らないことを知るということ、違うということで、否定をする前に分かることは少なくても、少しずつ例え一部であっても知ることが、大事な宝物だと思う。

無理やり聞き出すと言うより、ちょっとした話の中に出てくることを聞き逃さずにただ聞いているだけだ。

いろんな関わりや生まれた場所や時代によって、生きやすいように自分に仮面をつけているとも思い、その仮面も着けているという認識さえ持ってないのではないかとも思っている。

本来持ってた純粋さや狡さは、その情景の中で幾らでも選択によって変化する。

話すとかでは分からない、考える感じるとは分からない、もって生まれた根本的な自分ははっきり意識されていないとも思う。

勿論生きていくうちに仮面をつけるのではなく、研磨されていく部分もあるだろうし、それはその人の選択でしかなく、それも意識されていたわけでも無意識なわけでもない物があると思うし、じわじわ湧き出てくるものもあれば、防御のために着けたものもあるとみている。

それは複雑に絡み合っているために  はっきりすることも  なかなかないのではないかとも思う。

そうして会話するのだからなかなか  合うかどうかまでにはたどり着けなく、何度も何度も長い時間をかけて、いつか自分も人も少しはその人や自分という存在を見つけることが出来るのではないかとも思う。

そもそも何もかもはそれぞれのフィルターで見ているわけだから、わからないのではないかとも思っている。

そこで感情とかではなく、冷静にバランスをとって色眼鏡で見ない、透明な心で聞いている努力をすることで、少しは理解できるのではないかとも思う。

例えば年齢や容姿に価値をおくと、変わっていくものに耐えられなくなるだろうし、それでいくと仕事の評価などの成功や挫折が価値であると、すると、必ず時間は過ぎ去り、時代は移りゆく為に変化していくことに置いてけぼりを食らうとも思う。

人はどんな人でも自分を大切にすることは当たり前で、その価値感によって人を傷つけてるように  自分を傷つけることも多く、人にしたことを本当は自分を傷つけているということがわからない人も多い。

ただ体験や経験を経てその本質に近づいているということでもある。

ネガティブな感情もポジティブな感情も人は持っていてそれは人として当たり前で  それを考えることではなく、感じることを許すことが大事である。

家族などの親兄弟や恋人や友人や関わりのある人などの人から大切に受けていることを  当たり前と思って甘えという言葉で踏みにじる行為を自慢する、そんなこともあからさまに幼稚だということを知らない人も容認できない。

やはり感謝や思いやりや愛が人は大切だとも思っている。

これは利害や損得抜きの純粋なとこで感じる物があれば、自己犠牲とは違う、自分も人も違うからこそ大切だと気がつけたらいいと思う。

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その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
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代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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