自分の中の神様
同じように見えて違うこと
どうしても誰かと関わるときに、感情とか欲とかに阻まれて冷静な話ができないことが多い。
凝り固まった自我を持つ人や自分は割と簡単にその人の世界や自分の世界が垣間見える。
人とかものとかって結局自分の見方で出来てるわけだから、真実なんてなくて自分がスト−リ−を創ってる。
被害妄想だったらいつまでも被害にあってるとかしか感じない、それは自分が自分を攻撃してる上や下良い悪いで自分が自分をジャッジしてるから嘘も誤魔化しも通用しないし、よく浮気してる人は自分自分を基準にしてるから嘘ついてたり誤魔化してたり自分がわかっていて自分の配偶者や恋人に投影してるから、相手を疑う気持ちは拭えない。
自分の疑心暗鬼や罪悪感や劣等感からは逃れられない、自分は自分を知っている、見ないように目を瞑っても、いくら誤魔化しても自分だから知っていて、関係ない人に自分のその部分を見せる相手に転化してやり過ごしても晴れない。
何か自分の思うものだけを拾うし、相手にミラーで帰ってるものを自分の反映と気づかない。
曇った目で見ると曇ったふうにしか見えない、よく大きな海を見てると黒い雲が突然現れたとき、海を見ると黒い雲の下だけがどす黒く、あとの周りは海も空も真っ青できれいなのだ。
だから海は空が写っているだけで、海の色は違うだけだ。
見えていることはほんの一部で全く海のことも空のことも知らない、わかっていることは自分の感覚だけでそれだって怪しい。
自分という人を自分の一部のフィルターを使って考えているのだから、かなり狭く小さい見方しかできていない。
だから沢山の現実は目の前に自分の中にある、現実はいいとか悪いとかの2極ではないということでしかわからないし、どう考えたり、行動したりすることによって何もかもが変わる。
現実は自分が創ってると言うのがよくわかる、だから人をコントロールはできないし、その人が選んでる道だから、見ているだけだし、自分も自分を見ているだけだ。
だから思いもよらないことが起きるし、それで自分や人を知ることができる。
例えば無意識に行動や言葉で、、自分は冷たい人間だと思っていたらむしろ熱い人間だったり、優しいと思っていたが冷ややかだったり、一面しか知らないこともある。
それは自分だけじゃなく人にもいえる、日々の中ではよく見せたり誤魔化したりして見ないようにするが本当は自分はわかっていて大人というファクターで仮面を被っている。
それをいろんな人との関わりで、見えてくるものが増えて広がっていく、沢山の人に関われば関わるほど自分が人に投影されて、イライラしたり、羨ましがったり、早い話ネガティブな感情が、人によって映し出される。
逆にポジティブな感情だってかなり自分の見方に左右されて見えている。
何か一つのキャラにその場所その場所で入れられているから、何かトラブルが起こったときに露呈する。
変化は不安に繋がるから、誰もが変化を拒み、ずっとアップデートされずにいる人が、古い親や先生環境のままずっとその場所にいて長老のように偉そうになる、多分昔読んだ本と同じ見方や感じ方しかしてないなら、何も変わらない成長がない訳で、昔が良かったって思って武勇伝みたいに話す人や自分は、そこが成長してない、新たなアップデートがされないままだ。
どんどん変わっている、病気後に治療法も予防法も、健康や知識的なことも改善されてたり、停滞してたり好転もあれば後退もある、すべては動いている。
本当は変化を見つけ新しい価値観を受け入れて、いいとか悪いとかのジャッジではなく、新しくカテゴリーを増やす方法にしていくほうが健全だし、直さなくていいものだってあったり。
違うということが大切で、だからしっかり見なければわからない、たとえ今はわからなくてもあとになって違う価値観で見ることができたら、新しい自分も知ることになる、自分というものは曖昧で人というのも曖昧で、自分の中の自分っていう神様は出し惜しみする、気づかなければ放置する。
だから世界は自分が創っている、狭くて窮屈な世界より広くて豊かな世界がいい。
実は誰もが今の自分より遥かに大きく遥かに賢く勇敢で、違う角度で見たら自分の中に自分という神がいる事が分かる。
決定権は自分誰でもない、自分の世界を動かしてるのは自分を、自分以外に決定権を渡したら、それは人や環境に支配されてるってこと、トラブルは人が起こしてるのではなく自分が起こしてる。
過度のいい人や優しさは相手に、決定権を渡している。
お互いが自分を大事にしなくちゃ、そして人も大事にするが嫌だったら無理することはないし、人や自分に期待することもない、自分がそうしたいこと素直にすればいい。
咄嗟にしたことが本心だ、我慢することない、我慢するともっと要求される。
誰だって聖人ではない、ただ自分を犠牲にしない優しさやいい人はどんどんすべきだ。
長い年月の経験を活かし方もわかり、平和で豊かな小さな競争なんて馬鹿げた、みんなが1番凄い世界になるのではないかと思う。
誰もが違う、見方も感じ方も、心や体や思考や魂が合わさってできてるそれぞれの自分が人に反映されて見えてくる。
そうだすべてが幻想で現実だから、楽しく笑っていたり泣いたり苦しかったり感じて初めてリアルに生きている。
生きている中で起こったことは、全てが経験が必要で起こっている、自分の行いも人の行いも、社会や環境さえも意味がある、ネガティブかポジティブか善か悪か正しいか間違いかなんて測れないし測らない。
全てが意味があり何かの伏線でもある、生きるということは謎解きだ、ゲームだ、経験するために生きていて、幸せになるために生きている。
そして生きるためにはそれぞれテ−マがあって、富がテ−マの人はお金が中心の人生で、愛がテ−マの人は家族や恋愛や友情などの愛に関することが経験事項で、成功がテ−マなら仕事が中心にあり、人を殺すとかテ−マはたくさんあって、大体がいろんな事が混じり合ってはいるのだがそれぞれテ−マがトリガーとなって経験していく。
仏教と量子力学
仏教や量子力学はまだ勉強中だが、どうやら量子力学を仏教で証明してるらしい、仏教は私としては2極を注視しているところがあるからまだ飲み込めないが、量子力学も波動(目では確認できないというより目で見ることができない、目で見ると粒子に変容)と粒子(目で確認できる)の2極を証明してるらしい。
実際科学が発展した中での発明には目に見えない領域での解明を進めるからこそ発展して見つけているとも思われる。
それと何十年も感じていた違和感、弱い人と装ってくるエナジーバンパイア達とドリ−ムキラ−達との攻防、気づくと周りは私利私欲に駆られた弱い人を装ってる人達に囲まれていたこと。いや普通の人と自分のことを言って私のことを見下している人は普通でもなんでもない、普通の人という仮装をした変な人達しかいない世界に私はいた事、私自身は変な人だと自覚があっても皆は自覚がない状態。
仏教や量子力学などを知れば知るほど、仮装の世界で生きていることがわかる。
目に見える現象や見えてない波動やエナジーなどを知れば知るほど、本心や本音を隠してるが言動や行動で透けてる人達、それが知り合い程度ならいいが家族や友達や職場の人達、何か足を引っ張ってやろうと意識的か無意識的か、とてもレベルの低い思考回路、小学生から成長していないのではいないかと、思わざる得ない現状が見える、ということは自分自身も同じ次元ということで、もっと大きく広く高く見れるようにと、自分の中の自分が導いている。
まだ思っていることの言語化がうまくできないのでこれくらいで。
見えている現象で、説明のできないことも起こっていて何かが変わってきてるということもある、まだこれが何か、このたまに起きる不可思議なことも検証していってる途中ではっきりしたらまた書こうと思います。
私自身は神道をも勉強したいと思っている。
今はエゴが噴出中だ、長年の過去からくる悲しみ苦しみ怒りが怒涛のように出ている。
かと思えば今を感じていてボンヤリしたり、花がきれいだとか蝶々がひらひら、太陽が活力に身体を動かしたくなったり、またふと左脳から出ているエゴに絡め取られ追体験をして、泣いたり怒ったりイライラしたり、ふと何やってんだろうと我に返ったり。
いかに溜まりに溜まった感情の多いこと、平常心になりたいがこのまま吹き出すだけ吹き出して過去からくるエゴを空っぽにしたい。
こんな感情だったのかとか改めて自分の感情に驚く、その都度その都度絵を描いたり、叫んだり、書きなぐったりして吐き出していたがまだまだ、思考して左脳がしつこくこのネガティブな感情を作り出してるようにも思う。
感情噴出は確かポジティブな感情から始まったが、ポジティブな感情一瞬だった、ネガティブな感情は出しても出してもまた思考して、繰り返してエンドレス。
また体調を壊すし、また誰かの関わりで人も巻き込んでネガティブな過去の感情を引き出す、そして問い詰められる、人のこと考えろって、私が原因ではないむしろ私が藁をも掴む勢いで助けを求めたことさえ、死ねと言わんばかりに詰め寄られる。
これが現状の世界だ、その時詰め寄った人を助けて身代わりになりかけてるのに、見えない。
人も自分も見えてるものが違うと助けても恨まれる。
だから私はエゴで張り巡らされた世界から場所を移動したい。全く何も見ようとしない人達から離れたい。
本当にこの生きてる世界こそ地獄じゃないかと思う。
見えている少しズレたとこには人を欺いたり欲が絡んだ不正があるが、見えているものは偽りの表面的な空間。
安全と言われてる日本が最もうまく隠している。仮装空間(仮想空間)これは量子力学でも仏教でも表してる。
だからこそ自分の中に問いただす、そして右脳で決める。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。
屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
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