今の常識を考察
今を考察
未来(結果)のいろんな未来がたくさん存在していたら、過去(原因)が違う過去がたくさん存在していたら、同列で現在もたくさん存在していることになる、存在する者達のそれぞれの認識する世界だけではなく。別の現在を歩んでいても職業とか人間関係や現状が違っていても、得るもの失うものは形が違って見えても確実に得ているのではないか。その時の常識に縛られずにあらゆる検証考察や経験をしてみると色んな未知が見えている。常識は移りすぐに変わりあたかもずっと当たり前のように現在を縛っているのであるが、実際には同じ常識も今日もない、同じ私も居ない。悪い人落ちぶれた人冷たい人そんな風にネガティブに人から言われたら、私は言った人からの世界では、そういうキャラなんだなっと思うだけで人の自由な世界に感情的になることはない。ただ好意的なキャラとして私が存在するとやはり嬉しい。勿論人の見る自分も自分のみる自分も例え相手が見る相手のミラーであっても、そういう部分がそういう風に見える部分はあるので、その世界ではそういう人生を歩んでいるのだ。ただ見えているものでしか感じれなければ自分や人は本当ではない。無限大の各それぞれの自分があるので今ある常識や当たり前では誰もは分からない、良いとこ成功美しさプライドやポジティブな事が大事なのではない。
発達発展した文明が絶対正しい凄いってことではなくて、それは知ってる知らないでいえば文明が発達発展すればするほど何か内在している一部は知識や体格を退化させているかもしれない。得ているもの失ったもの発達発展した場所ではその感覚が退化や発達して手探りで生きていくことになる、見えないエネルギーや感覚時間物質などが分からない、気がつかなくなってしまう。か新しい武器で表現はできるかもしれないが便利になって自らの身体では感じることは出来ないかもしれない。
交錯した時間の中で選んで経験して持ってる能力が生えたり増えたり伸びたり切れたりして、縮んだり広がったり育んでいたものだ。ある日大きな翼の存在に気がつき自由に飛べる力があると知ったとき、とても気持ちが大きくなって地道に這いつくばってみたりして歩んでいたことが何でもない事に思えてネガティブなことに思えて、ある日大きな翼が折れてしまったときもう二度と空を飛べないと絶望したとき、それでも少しずつ這いつくばったり走ったり歩いたりして歩んだとき、その横には空を飛んでる世界があることも知らず、這いつくばったり走ったり歩いたりしてることも空を飛んでることと同じことだとも知らず、一生懸命弱ったり強くなったり、休んだり歩いたりしてして苦しみながら前に進む。本当は前や後ろだけではない四方八方潜ることもあれば、飛んでいけることもある、漂うこともあれば、留まることもある。そんなことを楽しみながら苦しみながらする事の良さを分かってはいなかった。
前に進むチャンスだと思ったとき大きな壁が立ちはだかり別の道を選ぶしかなくて、向かっている先はいつもそこなんだけど遠回りして行くことを余儀なくされるが、寄り道だと思った路がとても大切な道でそこを通らないと死んでしまったかもしれない、大けがをしたかもしれない、愉しかったかもしれない、そんな事や自分の身体や心の大切さを教わったり、何かが代わりに壊れたりそんな経験ばかりしていることに気がつく。何でもそれには意味があってその時は分からなくても別の次元で分かることになる。
本当はそういうものではないかもしれないしそうなのかもしれない、沢山の現実があって意図しない方向からやってきて後で知る、知ると言うよりこじつける。出来事は偶然のような必然であって、結果は沢山あるので重要ではなくて今が何をするかしているか良くも悪くも今していることが重要で経験で、限られた身体の中でこの身体の今が今しかないことを忘れずにともに経験して歩むことが漂うことが重要なのだと思います。
例えば今こう考えてることが古く地球は平面ではじに滝があり落ちると考えてる時代と何ら変わりなく、その時の常識でその時に誰もが起こる日常を生きているのと違いはないのであろうと思います。明らかに地球が丸くても平面でもその時代の文明や常識で人は産まれやがて死んでいく、太陽は昇り沈んでいく、いや地球が太陽の周りを回っている。同じ瞬間に沢山の今があり、そこに産まれた植物や動物などの生きてるもの微生物や粒子などは存在した者だけしか見えてないように思えるけど、その小さな世界でそれぞれが同じ時間の今をそれぞれのスピードで今をつぐんでいる、存在してるのは無限の粒子からなる無限の流れである。今の常識や考察でも過去も未来もどんな常識や当たり前でもシンプルに同じです。地球があれば地球に産まれる状況であれば、産まれて死んでいくとてもシンプルです。沢山の偶然が偶然を呼んで小さな微粒子の集まりで今があるだけです。今考えてる意識という存在もまだ科学で分かっていないので考察は幻です、意識や無意識はなんなのかどういうものなのか科学では解明されてなく、沢山の仮説や悟りで表現されているので自分の考察もただの幻です、なので私は思いつきで幻です、それが今の常識です。
右往左往してだらだらするのが愉しいです、色んな事を考察してこじつけてこねくり回すのが愉しいです、文章や服を創ったり本を読んだり映画やドラマを見たりで考察するのは愉しいです。
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Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
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屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
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