役割がない、それが自分
大きな勘違い
人間として生まれたら、役割を植え付けられる。まずは男とか女とか、生まれた順番、産まれた年月日、どこで産まれたか、どうやって産まれたか。どんな体か。数々のものが。
肉体がある以上、産まれた以上役割が頭に烙印される。
が、その烙印は、ただの印で、見える印なだけだ。
それ以外は、自分という格は、見えない、自分しかわからないが自分も印が自分だと思って生きてる。
見えてるものだけを、あるものと思っている。自分は人がつけた印を自分だと最初に思う。
赤ちゃんの時に、自分の指が人だと感じたように、自分の毛布が自分だと思ってるように。
そして、その印がずっとまとわりついている。身体がある限り、それは自分の洋服と同じで、ただ、この印は生きてる以上は相棒でもある。
では自分はなんだろう、どこだろう、自分探しが始まる。
自分は粒子や点、周波数とかエネルギーとか波動とかと同じで、実体はないが、何かがある。見つけて形が見えてくる、だから、人が見る自分と自分がみつけた自分は、同じ時もあるし、違ってもいる。見つけるとは、選択だからだ。大体は、自分は選択で自分を方向づけてる、だから、自分でいくらでも変わるし、変わらない選択もある。固定はあまり良くない、自分が小さいままだ、選択で変わり続けると、沢山の自分が見つかっているということにもなる。成長と呼ばれるものだ。
意識が固定しようとする、自分はこうだって、でも大概が外れる、それは自分は∞でもあり、1でしかないかは、自分の選択でしかない。
ということは、人はもっとわからない、∞でもあるが、とりあえず印で、関わり合う。
他人も選択でできているので、見つけるしか人は知ることができない。人はその人しか決められないし、変わることもないし、変容もある。条件は同じである、違いは印でしかない。
そこで、自分が小さいままだと、相手も小さくしか見つけられない、見つけることさえ、あきらめて、印だけで見てる人が多い。見えてるもので、人も自分探しも固定している人が多く、それは楽だから、早いからだ。
が、全てのものが、変化してる、固定はしてない、では安定や安心はどこからくるか?
それは同じような大きさに共鳴する、場所、状態が安心だ。変化してること、流れていること自体が安心感だ、がこの安心には危険もある、それが勘違いというものだ。
産まれた場所や状態やコミニュティで、慣れて、自分を固定しがちだ、どんな人でもどんな場所でもどんな状態でも。
当たり前という誤解を背負ってしまう、それから、適応して、判断して自分を形作ったり、不快で、居心地悪い印とかから反発していったり、それはその人の自分を見つけて判断しているものだ。
そして、生きていくうちに、選択の連続で、人は仮の個性を身に着けていく。なぜ仮の個性かは、誰かの印や人の判断で自分と誤解している場合が多く、社会はそういう仕組みを作っている。何故か、自分の個性を見つけて大きく成長させてる人が少ないからだ。
社会や集団に適応するほうが正しいとか成長だと教えられてもいるからだ。
ただ、適応しなければ、生きていけないところもある、なぜか異端は殺されるからだ。
精神的に肉体的に殺される、そして、暴力的な方が人を殺していく、消していくから、暴力的な小さいものが残りやすいのであるし、その小さいものが仮の個性が、大きく見えるものだったら、勝手に自分は偉い、大きいと勘違いして、正当化して、集団のリーダーに収まり、社会の基盤をつくっていってしまっている。
そこでも、自分を見つけ判断していき、大きく成長する人もいる、サバイバルだ。
そして、自分の選択ではうまくいかない、無意識や地球や宇宙の周波数やエネルギーや波動といった波に流されながら、景色は変わっている中で、自分の形を変え、生きているのだ。
そこで、誰が選択していたりしているのか、それが自分という、ないはずの形作っているのは誰だと言うことになる。
これが、一つではなく、印とうちにある、見えない自分の格、無意識とか魂とか、脳とか身体とか心とか意識とかいろんな言葉で語られてる、総合奏者みたいなものが直感と言うもうと演奏をはじめる、これまた実体のないものを指揮者としていての演奏だったり、いろんな総合奏者の思考と言う指揮者の演奏だったりとかで、形を作っての選択で、運営されている。
指揮者を、身体にしたり、感情にしたり、印にしたり、ここでも色んな判断で指揮者は変わる。
指揮者を誰にしてるかで、大きく人生も自分も変わってくる。
その指揮者でさえも、地球や宇宙の流れで決まってきているので、私たちは粒子や点でしかない、形のない集合体なのである。
そこで、何度も形を変えながら、大きな変容もあって、少しずつ形が見えてくる自分、これを個性と呼ぼう。
だが個性もいろんな形に変わりつつ、周りや情景や場所や時代も変わりつつ、何度も何度も変わっている。これを成長という。
雨が大気から落ちて山から川となって流れてきて行き、そして形を変え、海に流れて、また水蒸気として雲になって、雨として降る。
人間はそれで流れて、池に溜まってたり、途中で飲水になったり、排出されて、また水の流れに加わったり、途中でひえあがって、蒸気になったり、そういう循環しながら形を変えている。
自分とは、実体はない固定化しない個性であり、そして選択で、舵を切りながら、成長とか統合とか言われる、個性になっていく、生きているとも言う。
では、これは小さなことの積み重ねだったり、消し去ったり、結局、正しいとか当たり前とかそういうものではなく、それぞれがその人のペースや順番や、あったりなかったりして、選ぶことで進む。だから、自分はこういう性格だ、こういう道しか選べないとか、断言してもひょっこり違う自分が顔を出す。侮れないのが自分で、難しいと思ったら、簡単だったり、楽勝と思ったら、曇り空で、人は複雑なとこのように見えて、シンプルだったり、もう、頭が決めることはできないのです。前進したかと思ったら、後退したり、でもそれがジャンプの前だったり、結局は、やってみないとわからない。自分は誰だ?ってとこは未知数。そこが若さということにもなる。
自分というものはあるようでない、からこそ、しっかり笑いながら生きることが、自分という端くれが見えてきそうなそんな楽しいものなんだってことです。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。
| 屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
|---|---|
| 住所 |
〒551-0021 大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21 |
| 電話番号 | 090-5063-3092 |
| 営業時間 |
10:00~18:00 定休日:火・日 |
| 代表者名 | 角戸 圭子 (カドト ケイコ) |
| info@kadotokeiko.com |
