今、過去、未来、無意識的の種蒔きからの現実
遥か昔に種を蒔いた
大事な大事なものを大切に大切に育てている、昔植えた種だ。
その種がどんなものになるのか想像しながら芽が出ることを待っている。
未熟な私はどうすれば芽が芽吹くのか、葛藤しながら、諦めかけたり、失敗してしまったのではないかと不安に思ったり、ワクワクしたり泣いたり笑ったりしながら、芽吹くのを待っている。
絶望からの再生でもあり、自由に何の枠に収まらず伸び伸びしたものになるように。
純粋な淀みもないとても綺麗でもあり、だからといって弱いものでもなく芯の通った永遠に凛とした咲く花が芽吹くように、過保護にしてたわけでもなく、嵐が荒れて雨や風にさらさてたり、太陽がさんさんと降り注いだり、そう、過去の出来事は変わらなくても、今を繰り返す事で、過去は新しい見解が増える、そして次々とと新しい過去が見えてくる。
種をまいたつもりもない、戯言だったり、思いつきだったり、こうだったらいいなって思うだけだったり、書いてみたり、喋ってみたりして種をまいている。
次に゙未来は、その今を重ねることにより、たくさんの未来がある。違った未来が同じ時間の中に゙芽となって芽吹き出すのだ。
すると未来はたくさんあって、そうすると過去の意味も変わってくる。
だがしかし、これはもう決まっていたことだったのかもしれない、っていうタイミングで、思いがけず、芽が噴き出る、気づかないうちに実になっている。
手相と同じです、手相は今、過去、未来がでてますが、明日見ると手相学変わっているときがあります。
そうです、手相の上では、過去も未来も今で変わってきています。
過去にはたくさんあったのかもしれません、記憶にあるのが一つだけ、そして自分が変わることで、見えてきた過去は違って見える。複数の見解が、深さや広さとして見えてきます。
手相でさえもこうなったらいいなって、意味もわからず思っていたが、その線になっている。
しかも苦労をしての実りの線。
種を一つ蒔いたのではありません、複数のたくさんの種はまいてるはずです。
どう動いたか、種は足跡とも言えるかもしれません。
本当は傷つくようなことではなく、軽い解釈のズレだったのかもしれません。その流れの読み方がたくさんあった事で、自分が選んだ解釈や見解、そこにはちょっとした、いやおおいなズレで、未来が動いていった。
そして今になる、人は選択して、たとえ苦しい選択も楽しい選択も、自分で選んでいる、それが解釈だ、経験として認識して、それは意識的なことではないかもしれない。無意識で選択して経験して解釈して、外部からの出来事のように感じる。
それを意識的にしてる人も入れば無意識的にしている人もいる。
だから話も噛み合わない、記憶が噛み合わないことがある。
しかし、経験や体験や人の話や直感や、自分がなぜそうしたのか、なぜそうされたのか、なぜ言ってしまったか、なぜ言わなかったか、全てが、一つ一つ線が繋がってきている。
それは酷いことだったかもしれない、傷ついてしまったり、傷つけたりしたかもしれない。
それは大きな犠牲を払ったかもしれない、それはやってはいけないことだったかもしれない、でも直感で行動している、なぜって自分でもわからない。
だが、それが簡単に手にしたりできないように、神の采配か、自分が生まれる前に創ったストーリーか、っていうくらいこうしたかったのになぜその時はしなかったか、罪悪感もなく苦しみもなく、自分が望むことのタイミングをずらした。
自分の思考は自分のことを知らない、魂が全てを進めている、魂に逆らおうとすると苦しみだすのです。
しかし確実に、思っていたことや言っていたことや書いたことは、別のタイミングで叶っている。
どんなに小さなことでも、特に小さなことから叶っている。
だから、全てのことに意味がある、関わった人や見かけた人やそんなことの全てに意味がある。
嫌なことも、嬉しいことも、楽しいことも、苦しいことも、悲しいことも、他人事も全て自分の世界に意味がある。
たとえ、芸能人のゴシップでも、事件や事故や映画でも本でも、人の話でも全てが後から意味が分かってくる、タイミングでやってくる。
バラバラに散らばった記憶が、バラバラに起こる現実が、バラバラに聞く言葉や発言、何気ない日常的な挨拶や感謝さえも、繋がっていく。
第一章や第二章などの先の次の章に繋がっていく。
これが、自然にやってる引き寄せってやつだったり、これが運命や宿命ってやつだったり、そういう自分の思考や意識外で、粛々と進んでいる。
では魂に沿っていればいいのか、心は置き去りか、身体は置き去りか、大丈夫それぞれが主張して、現実が変わっている、魂は長い歴史があっても、現実を生きてるのは、身体や心。
思考は今までの経験から警告や危険を計算して鳴らしている岳だ。
思考が考えることが全て起こるわけでも起こってるわけでもない、がストッパーになったり、壁になったりして、守っている。
じゃあ種は誰が蒔いてる、それは、心や身体や思考や魂やエゴが蒔いてる。
そして、それぞれが、芽を見つけ出して、繋げていって、実になり始めている。
だから、思考も意識も追いつかない、気が付かないとこで実になっている。
実になっても気が付かないとチャンスを逃すか、タイミングがこないと気が付かない、チャンスはタイミングが教えてくれるもの。
人はそうやって、自分の種をまき、実を取り込む、それは意識しているだけではなく、無意識で行われているから、わからない。
それは整えたとき、うちを整えたり、外を整えたりした時に、気がついたり、意識に上る。
だから、整えてなくても築いてなくても、自分に戻ってきている、自分の身になっている。
それは自分で決めている、自分だけの世界。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
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屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
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