Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

誰もが自分で描いてきた人生を歩む

 

       誰もが自分の人生を選んでいる。

 

過去の記憶を姉妹で話す時、恐ろしくズレていたり、事柄が真逆だったり、人物が入れ替わってたりしていることに驚く。妹は記憶力が悪いとよくいっているが、本当に同じ場所にいたのだろうかと思うほど違う。よく仕事の愚痴を私は聞かされていたがその出来事の記憶も全く違うことに驚く。そして言ってることが記憶が違うから過去に言ってたことと今言ってることが違うのだ。過去には3人姉妹で一番下の妹は若くして31歳で亡くなったのだが、その記憶さえも違っていて、人の記憶とはいつも思ってるように、同じ時間で会話していたことも行動もネガティブなことを拾うか、ポジティブなことを拾うかと、見ている視点の記憶しかないから、いつも私は起こったことを思い返して真実を知ろうとしてネガティブな面やポジティブな面や、色んな人見る方向からいろんな立場になってどういう意味や行動かを、考えていたり内省を行っていたので、かなり偏らないようにものを見たり感じたりしていたのだが、なぜってそれはよく子供の時から誤解を受けることが多いから、どういう行動してどういうふうに伝えるかをいつも考えていた。一番下の妹は決して愚痴や言い訳をしない人で、多分小さい時にそれも人のふりを見たのか自分が失敗したのかで、決して愚痴や言い訳や陰口などはどんなに腹を立てても言わなかった。どんな人もわかってくれるみたいな信念があったのだと思う。というのもとても小さいときは自分がとても可愛いということを知っていて、それで自分は何をしても可愛いというふうに思って行動していた。それは別に可愛いのだから天狗になるのはあると思うけど、やっぱり人間だから可愛いから全てが正しく好転するとも限らず、寧ろ私は可愛いからよくないことが降りかかるとも思っていた。いわれのない嫉妬や誤解を受けることも知ってる。ただ可愛いからという考え方を妹は改めたか行動は変わってきて、友達100人以上いるのじゃないかと思うほどお葬式に人が集まったて、その時は大雪で実家は田舎で交通機関も麻痺しているなかに妹との別れを惜しむ人がたくさんいた。多分妹は見える世界を広げていき自分を大きく変えていってたのであろうというのは、傍目にもわかり、ただ人を優先するあまり、自分を犠牲にしていたこともあるのかなともとれる事が、今私の見る視点を増やして気づくことが多く、全てのネガティブな感情を吐き出さずにいたことで体を壊したのではないかと思っているし、記憶が書き換わっていくというよりも情報が増えていき、本当の自分に妹は病気をすることにより気づいてきたのではないかと、気づいたから築けていったのではないかとも思い、そして私の記憶も増えていったのだが、真ん中の妹は小さい頃の記憶のままかそれを広げたり増やしたりというよりは、整理されずに、いろんな記憶がごっちゃになってるので、別のストーリーになっていて、末っ子の妹が小さい頃の天狗なままな人間性でいつまでもあると思っている。そして変化や成長を拒んでいる真ん中の妹は、私と意見が合わないのだという事がはっきりしてきた。妹は自分のストーリーも人の語ったことは鵜呑みにして自分の道を人の語ったことをつぎはぎにして記憶していること都合よくくっつけてることが、突き詰めるとわかってきて、それは自分の人生なので自分で現実を作っているということも当てはまるなって思っていて、それは人がとやかくいうことでもなくて、自分が自分の人生を作っているということでもあるなって思うのだった。

 

一番下の妹からよく私は非難されたことはあるがそれは妹のこれが正しいことということについて外れると怒られた。私はそれに関してはもっと自由に堅苦しく枠に囚われるのは反対意見だったが、意見が違っても言い争うというよりお互いの考えを言ってるようにしていた。面白いということも多分ズレていて、多分私はあまりネガティブには捉えることが少なく、面白いということは見方を変えたら欠点と捉えられるけど、そこがその人の味や人間味と捉えていた。真ん中の妹は自分の考えがなく、誰かの考えにすぐ影響されて、すぐ批判するネガティブ思考だしネガティブに捉えてネガティブを隠すタイプだ。だから真ん中の妹とは全く合わない、私が人間味と思う事が、欠点や悪い事劣ることと捉えているようで、だから自分防衛からの記憶は全て都合のいいように人のせいにしていて、だからしてもらって嬉しいことや上手くいってることを見ていなくて、だから全く同じ場面でも記憶が違うのだと最近やっと気づいた。起こってることが同じでも、見る視点感じ方で、よくしてもらった、意地悪されたと全く逆に見えるのだ。私は開拓者オリジナルにこだわり、それは自分にも人にもオリジナルを見つける方法で、妹は従来ある物や人のマネをコピーすることが得意で当たり前と思っている。だから絶対噛み合わない、自分軸か他人軸かという違いだ。自分軸は人からはわからないし、とても時間のかかる生き方だしわからないことは不安で悪としか見れない、新たな道を自分の魂に沿って歩むということで、人からは理解できなくて当たり前だ。他人軸は人が見つけた道や人が踏み潰した道を歩くからとても歩きやすいが自分との折り合いつけることが難しい時が来て、そこは突然我慢の限界からひっくり返し、結局我慢を人のせいにして爆発するのだ、どちらにせよ自分の道を歩かなければ、根性はひん曲がる。

そういう物があると分かってそれぞれを尊重できなければ、たくさんの見方や考え方をみなければ、気が付かなければ、大事な時にちゃんとした判断もできず、他者の思惑や下心も気が付かず、表面的に見えることだけでで判断して、悪意や善意がわからない、自分の悪意や嫉妬などの気持ちにも気が付かない事が人の悪意や嫉妬を良いものとして見えるのだった。いつも自分が善良だと勘違いする。自分の悪意や嫉妬を人に見ることになる。それぞれ関わる人でもおんなじで、割と私が思う卑怯な人が一般的に好かれたり、信頼されていて、正直に動く人や地道に陰ながら努力する人は日の目を見ないか、もしくは卑怯な人に、美味しいとこを持っていかれてしまっていることが多く、本質的にはそういうことは簡単にいい人の仮面ですっかり騙される人のほうが大多数だったり、例えば嫉妬だったり、よくできる人が潰されて、例えば見返りを使って仕事を取る人が横行していたり、そんな表面的な事がまかり通る事が多かったと思う。というのも見方や考え方は1つとか2つの人が多く、見えてるものが自分の反映で、だから人は表面的な見えやすいもので判断したり、喜んだり悲しんだりしていて、それか疑い深く疑心暗鬼でものを見て感じてというように表面的にはそれで納得する、自分の中の環状の情報の少ない人は自分の反映でしか人を見てないので理解し合えてはいない現状がほとんどなのだろうと理解する。

そう言えばだいたい色んな人の兄弟姉妹の話を聞く事があった時、同じ話を聞いても大元のストーリーは同じであったとしても、主役は本人なので、必ず兄弟姉妹が悪役でのストーリーが出来上がっている話が多く聞き、何か記憶が出来事が人がいるだけ世界があり、だから自分の人生は自分で作るということで、過去がそうなら未来のストーリーも、この意識が決めているのではないかと思いだから、自分の人生は自分で作っているということなのですが、欲や自己中で考えると、やはり世界はほかな人と遠くこれが人との距離となって、わかり合うかわかり合えないかが世界の距離で決まってくるのだと思うのです。そこには深くはなしあい諍いになったとしても表面的な話し合いではなく、本心を話すことが手っ取り早く時間短縮にもなる。そしてたくさん人がいるがみんな違うということがわかり、お互いを好意的に見ていれば、その世界も受け入れる事もできるが、受け入れなかったとしても、同じ人はいない同じ考えの人もいないし、自分の選択肢も増えることでもあるのだ。

 

世界が違う、表面を繕えば何とかなる世界に住んでる人がほとんどで、もしかしたら私がいる世界の人はかなり見つけるのが大変で少ないんだなってって思っていた。別に失敗やミスや嫉妬や悪意を無くすとか隠すというのではなく、正直にそれがあるという前提で、信頼感もあり心が通ったはっきり自覚してやり直したり、謝ったりできる関係性、純粋な意識が大切にされ、そこで助け合い信頼しあっていることのできる場所や人の世界を望んでいるのだ。

 

私は何時も自分はこうだと直感で判断して選択するが、それには今まで見えてきたものからの判断だがいつもそこで私の判断が良しと思われず信頼を失っている。私から見るとずるい人に見える人が信頼されて、私は裏切られがっかりする。それはいつも繰り返される、これは私が誤解されているのかはたまた私のエゴなのか、大事な人にそうされるが、その時々にその人の表面的な善良さや、心無い態度や依存体質の人に見られる兆候がその大事な人に見えることもある。そうかって悪くずるく立ち回ってないつもりが、人から見たら胡散臭いか何かに見えてるのか、必ずと言っていいほどずるい人偽物な人コピーな人が勝利して信頼を勝ち取っていく世界が主流なのが悲しく、孤独を感じる。

 

私がいる世界はズルさや、自己犠牲を強いられる世界なのだろうか、正直者がバカを見るみたいな当たり前に建前を上手くやらないと、サボってるように思われたり、できない人信頼出来ない人に分類されて、目立つというだけで人の失敗を私の責任にされたり、何か説教されたり、道理の説明を受けたりして信用されない。ということで全てにおいて、仕事も恋愛も友情も家族も失っている。だが私はその世界とおさらばして新しい世界に旅立つことを決めた、やはり自分のいる場所ではないと感じて、自分との価値観が合う場所に進むことにした、大切なものが違う世界では居心地も悪いし自分が潰される、自己肯定感も地の果てに落ちるし学ぶべきものがもう終わりを告げたとも思う。

 

果たして新しい場所は何処にあるのか自分が辿るべき道は何処だ、目指すものはどう進めばいいか迷いながら手探りで冒険を始める事となる、私はついこないだまで生きる気力を無くしていた、まるで動けない状態にまでなっていた、私は仲間を探してもいたが、見つからなかった。多分今この場所では見つからないだから旅立つことにした、それは初めての未知の世界、経験していない世界、そこに住む住人は、もっと高くて広くて軽いものが見える人達なのだろう。こう考えて1年今だに進みが遅いが手探りで前に進んでいる、同じ場所にいても景色が違う世界、少しずつ私の見え方も違っているがすぐに同じ場所に戻ってしまう、中々迷路のような道のりだ。ただ確実に周りの人が変わってきているのは分かる、とても厄介な人はことごとく縁が切れていて、自分で切ったというよりも自然に切れたり、相手から去っていたり、たまには自分で去ったりしている。たまにすり寄って来られるが、付き合いが続かない、一緒にいて居心地が悪い、やはり相手から信頼受けないということは自分も相手を信頼できないということにもなる。謎の諍いが起こってくるのだ、もしかしたら私の言動が信頼されないものなのかもしれないし、相手の言動が信頼できない、必ず相手の周りの人が確実に嫌な人や信用できない人が陣取っている。だからその人とは世界が違うのだと悟る。ただ子供の時から合う人にはまだ巡り合ってない気がする、この人は合うと思っていても、何かチグハグで必ず縁は切れて学びが終わったということになる。本当に本心が言えて長くリラックスできる人はまだいない、はじめは良いのだけれど、少しすれ違い合えなくなるのだ。

 

やはりそれぞれが選んでいるのだから価値観や見ているものが違えば合わないのは当然で、だからこそ私はその世界にはそぐわない人で信頼できないのであろうとも思う。ただそれはちゃんと心いくまで話しての決別と、突然のシャットアウトや強制終了で終わってるものもあり、話せてないのでなんだかモヤモヤはするものの、去るものは追わず来るものは選んで進んでいる。ただ本当に理解し合えて合わないとこや違いがあっても歩み寄ったり尊重し合えるそんな関係性の世界があれば、そこを目指している。自然体でいれば変に格好つけたり偽ったりせず仮面をつけずにいればおのずと居場所や合う人にも巡り合うだろうと思っている。とにかく成長するためには一人で模索し続けたり、出会った人と関わりの中で学んでいったりしてそこに辿り着けると思っている。ただ前みたいに走り去るのではなく、立ち止まったり休んだり遊びながら学んでいこうと思う。もう苦痛や悲しみ苦しみなから学ぶ場所は立ち去ったので、ほとほと疲れる場所にはもう戻りたくないので、人生の大半を使ってしまった苦しく悲しくやるせない学びや経験は終わって、気楽に新しい楽しくワクワクしてちょっとは苦しくちょっとは悲しくても笑い飛ばせる世界を学んで経験して学ぶことが楽しく幸せだと思える場所や人と一緒に日々の経験をしていきたいと思っている。そして知り合う人もいろんなものを経験して見たり聞いたり感じたりして、たくさんのストーリーを知ってる人、そんな人の話は面白くて知らないこともたくさんあるからワクワクして、その話が軽く話したとしても重い話だったり、悲しい話だとしても苦しい話だとしても深く話せて、それで意見が合わなくても、喧嘩ではなくそういうこともあるんだとお互いが情報として共有できたり、面白い話や楽しい話が人を傷つけしたりしない話ができる人たちが何処かにいると思っていて、それは過去にあった人かもしれないし、現在会ってる人かもしれないし、未来に出会う人かもしれないしそれは自分がこんな人に会うと決めてるから、少しずつ会うのだと思っている。私は自分が全て正しいとは思ってなく、だからたくさんの人の気持ちや場面や見え方も取り入れて選択する方式だし、自分の嫉妬や悪意もズルさも自覚して自分が選択して自分の人生を歩いていこと思っている。

そこには冷静に処理することも感情を無視しないことも取り入れて、自分の人生をストーリーを創ろうとしている。そしてそれは生まれる前に決めてきたおおよそのストーリーに細かく色付けている選択して経験してる、そんなふうにして地球を生きているドラマであり、自分は原作の有る本の脚本家で有り、演者であるということだ。

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その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
住所 〒551-0021
大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
営業時間 10:00~18:00
定休日:火・日
代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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