苦しみや苦痛を天は望んでいない
自分が苦痛を使って幸せを得ようとしている
元々生まれて自然に素の自分で生きていたなら、苦痛を受け入れたり、自分を隠したりして、自分を偽って人に合わせて気を使って、それぞれの大事な宝が埋もれたり潰されたりするのが悔しい。
みんなそれぞれ生まれた意味があって、それは生まれる前に自分で決めた使命で、ところが生まれてみると戦いや潰しあい、我が我がと手段を選ばずにいく世界が広がっていて、優しかったり弱かったりすると純粋に生きることは難しいし、生きるだけでも自分が決めてきたことを忘れて、真逆なことをして自分を見失っている。自信という言葉は自分を信じるということで、誰かがくれるわけでも誰かに褒められても、自信がつくわけでもなく、自信がないと自分軸にもなれないし自分で決めて生まれたこともできないし、忘れている。
もちろん褒められたり、お金が回ってきたり、3次元の物質世界でやろうとしてることは、自分の欲にも気がついて受け入れて、例えば誰からも尊敬されたいという使命を立てて生まれたとしても、純粋に人を陥れてまで手段を選ばないと決めたならそれをすればいいが、本当に自分はそれを決めて生まれたかは、自分にしかわからない。
人生はみんなが平等に自分で決めて生まれた運命を選択して成し遂げていく、そこには争いは少しのエキスにはなれど、本当に自分それを望んできたのか、誰とどこで何をするかははじめから決めてきたのではないかと思うぐらい、偶然や必然が交差する。だから一般的に悪だったり欲だったり、していてもほんの少し世界線を変えるだけで人のも優しい、自分にも優しい、やり方があるのではないか。
私は今まで見てきたことで絶対子供の時から叶えたいことがある、自然や人や動物の才能や優しさを潰さない。どんなに暴れていても環境や人で暴れているだけで、それぞれが感覚に忠実で、生まれてきた意味をちゃんと気づき達成させる、そんな場所づくり時間作り空間づくりがしたい、それには一人ではできない、一人でしようとしても小さすぎる。ただ何にもしないわけにはいかないから、手当たり次第調査するが、残念ながら何らかの秀でている人たちには欠点があり、それが人に災いを起こしてると思われている。私が知り合った良くも悪くも個性的な人たちはどこか成功を収めているようにも見えるがその分、人から嫌われている。何かのメリットで取り巻かれている人達に囲まれる。そういう仕組みがわかる人たちは金をばらまいたり、優しさをばらまいたり、愛情をばらまいたり、多分才能には必要ないものをばらまいて武装する。
私だってどうしても欲しいものがあり、どうしてもその力が必要でそれが新たな物を生み出すことは知っている。これを利用と取るか愛情と取るか本当は自分でも分からないが、どうしても壊されたり汚されるり潰されるのが許せなくて、例えばそれが人には取るに足らないものであっても、絶対守りたくて、でも簡単に潰されるとこが、愛や情で縛られて、本当は助け合ったり、伸ばし合ったりしてこそ自分が伸びるし新たなものが生まれるのに、正義感や常識といって縛り付けて、本当はそれは正しいのかもしれないが、根底が嘘で武装してたら、悪く見られるために、自信がないために、人を潰していたら、それは本人の歩む道で、弱さの克服のためには良い武装も悪い武装もしないで生きていける自信を取り戻したら。
そういうとても白とか黒とか善とか悪とかではない純粋な才能をその人を生きていける場所の空間を作っていきたい。そして自分で自分を潰さないようにごみに扱わないように、人からされてると思ってることは自分が作っていると言うことを知ってもらいたい、だから自分を潰さず、優しく愛して、自分を信じる、それには他人も困難もなんでもどうでも良くなるから、自分に厳しくしすぎず甘やかしすぎず、適度に自分を活かす方法を見つけて、自分の才能を爆発させる。ときには少しずつときには大爆発で緩急をつけて人生を楽しむ、愛して楽しんで幸せになる、そのために生きているし、神様(自分の中の)も望んでる。
自分を信じて自分を生きる、これが本当の生きる意味、たくさんの世界線の中からの自分が選択していつでも変更可能なうろちょろしたり迷ったりしてミスったりして経験を積んで、時には天からの大きな変更を受け入れて、それが神様の望み、たくさんの影響とたくさんの光でたくさんのパラレルワールドを楽しもう。
ここからSHOPここからSHOP
関連情報