本を読む
読書家といっても やはり違う
正しいことってたくさんあるけど、真実を見ようとしても自分が見るのは自分から見た現実。いろんなことが知りたくてたくさん自分が読みたい本を読んできて、好きな作家が同じ人だからといって、同じような感性ではないことを知る。ただ大きく分けたポジティブ思考ではあることは同じだった。
人間ってずーっと別のシュチュエーションの同じ軸を生きてるので、大きく見たら、何度も何度も同じ項目をわかるまで繰り返している。
その同じ作家が好きという人も大きく分けたら似たような世界にいるのだけど、私がここたくさんの気づきを経て、繰り返しではなく違う世界を見ようともがいて少しずつずらしているから、もうその人とは違う世界の住人のように思う。
ポジティブにだけ目をやって、ネガティブをポジティブに変換して、いつも障害や山を乗り越えようとしてたから、大きく見ると確実に同じような世界の住人だった。同じようにネガティブなことに対して攻撃をしたり、腕ずくて乗り越えようとしていた時期もある。
それは人のふりを見て気づいたのだが、言葉足らずだし、真意は全く違うようにも思って、勿論人は聞こえてくる言葉や見えてくる態度で、自分の世界で解釈しているから本当は全く別の世界の住人を誤解しているかもしれない。
その人には私が絶対嫌な仕草があり、信用できない言葉と態度を示してくる、目をそらすである。
その人は必ず大事な話や大事な時に目をそらす、本人も公言してた、嫌なものはフォーカスしないし、見ないといっていて、私は知りたがりなので、そこの真実真意を見に行くといって話は決裂した。表面的にはその人が目をそらす時は何か隠してるか弱みがある、嘘があるのだと思う。
なぜそんな話になったか、それは子供の時から私は好き嫌いが激しいが、友達は好き嫌いで選ばないと言った私の発言からだ。私は知りたいと思ったら、ここが嫌いと思っても、どうして例えば嘘つくのかとか、ひどい態度をとるのかとか気になって、話を聞く。勿論根掘り葉掘り聞くのではなく、行動や言動を見ながら、違う角度で質問するか、相手の話を例え嘘とわかってても聞く。
そこには連続した嘘や取り繕う言葉に大きなホントや小さなホントが散りばめられてて、辻褄が合うことがホントで、時系列ではありえないことが嘘や希望であったりする。
多分自分の環境や自分自身が辛い世界にいると、自衞や願いの仮面をつけて生きていることがわかる。そこに好きとか嫌いとかの感情が入ると真実は見えない、自分の都合よく見てしまうから、だから私は人を知る時は、なるべく好き嫌いの感情を抑えて知ろうとしているから、友だちに好き嫌いで選んでない、勿論大好きという感情が凄いときも知りたいと思ってるから友だちになるし、大嫌い危険と思ったら、友達には少しの時間しか使えない、割と私は繊細だから、かなり傷ついていたりもして、とても苦しいとも感じていて、逆に自分が取り繕って仮面を被っているし、しれっとフェイドアウトもする。しかし知りたいのでその連続したルーティンではある。
だから時が来れば友達は変わる、どの世界にいるかで友達や知り合いがゴロッと変わる。
しかしどうしてもどんなに世界が変わっても大切な人はいる。それは思考では理解できない思い、何か刻み込まれているものである。
どんな形であれその時たくさんの人達の中で一歩踏み込んだということは、絶対必要な出会いであり縁である。
最近は情報も増えてきて、同じような人よりもっと違う人、新しい世界の住人の人に出会って好奇心を出して学んでいこうと思う。
もう今までの世界は表面的には幸せや富や名誉をひけらかして、何かに苦しんでいる人達ばかりだから、本当の意味の豊かな人たちのことが知りたい。やはり、お金や人気で人を集めると肌寒い世界でなにか欲がある人達が集まって、嘘の宴に酔いしれる。これがいろんな欲を満たしている。そんな中に傷つきながらもその世界に誠実さを持って生きてる人もいる。ちょっと本音を聞きたいとこだが、そこにいることで自分を保っているから、本音は聞けないだろう。
あるいは同じ読書家や映画を見た感想がまた違った悲痛な感想や見栄をはった感想や見解じゃなく、もっと深い洞察や豊かな考えを聞きたいし話したい。もしかしたら今いる友人も私が世界を変えたので、違う人になるかもしれない。
多分前までの世界ではよく似た考えや感じ方と思っていても、自分の世界や器が変わると、全く違う環境や違う世界や違う人に変わると思うし、変わるとなぜか攻撃を受ける。変えあることを嫌う人もいるからだ。
どういった形でも本を読むのは楽しい、特にドキュメントや推理といった人間が描かれているもの、実在の人物の話がいいなあ。
そうして読むたびに同じ本が違ったものや意味が読み解ける。私の視点や器が変われば、同じ本で新しいストーリーを読むことができる。自分の人生も同じで、その時その現実は、違い時には違う現実が、これがパラレルワールドだと思う。時間や過去や未来は先だったり後だったり、理解できた時に気づいた時や知った時に現実が動く、道が変わるのだ。
新しい道の扉は、何かの拍子に現れて、気がついたら別の世界を歩いてたり、本を読むように、気軽に時空をまたげたりしても当たり前のように現実が目の前にあり、なんなら現実が遅れ気味に前後左右違った動きをするから不思議だ。
本を読むのは誰かの人生の一部のパラレルワールドを見た気がする。
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