感受性がない無知の世界からの脱出
知ろうとしない残念な人
自分を愛するようになると、今まで気にもならない、自分をごみに扱う人がわんさか現れる、いやずーっと仲良しと思っていたおめでたい自分の側に元々いた人たちだ。大人の対応だとか空気を読んだりとかしていると、自分にゴミ扱いする攻撃的な人がいっそう攻撃が激化してくる。本当は自分が自分を蔑ろにしたつけでの出来事なので、前はその人たちの対応が何ら可怪しいとも思わず、優しくない人だなあ位に思ってたけど、これは自分が自分に対して謙虚にとか大人だからと、自分の気持ちや自分を置き去りに脇においてるからこうなっただけで、これを他人軸と言う。
いつまで経っても自分の世界ではなく人の世界で戦ってた、知らないことが多いなと思う、人付き合いにしてもやはり気薄で、長年思い込みで人を見ている。大人な渋い人と思っていたら、ただの人に無関心でポジティブなことしか知ろうとしない人だったり、勿論人の見方がそうだから、自分の見方もイケオジとでも思っているのか、ネガティブな部分に目をやらない、ポーズを決める人だったり。
とてもゆっくりなほんわかした作り笑顔の人だと思うと、思慮深く言葉を選んで表情さえも気をつけていたり。
近頃人や自分の見方を今までより高めに俯瞰して見ていたり、自分軸で見ていると自分の過去の発言や行動にも違う意味合いに見えてきて思わず過去の失言や態度を謝ったり、人も見えてる部分が行動と発言のちぐはぐさの意味もわかってきて、何かやたらと攻撃してくる人がとても無知なことに思えて、安心感を与えて、一歩踏み込んだ言葉を投げかける人のここぞという時の思いやりにも気づけたり、得てしてそう言う言葉に異性であれば誤解も生みかねないのに、言えてしまう人がいたり、純粋に優しい人って、やはり何度も苦労したり、修羅場をくぐったり、死にそうになったりしたんだなって思う。
ただその人もまだまだ人に気遣ってばかりで感情を抑えてるのがわかる。
やはり表面的には分かりづらいし、軽々しく楽しく喋るけど、そこに至る過程にはたくさんの苦労や努力を続けてきて、人に理解してもらえない辛さも経験したのだろう。そういう人はやはり怒らず泣かず感情を出さず淡々と喋るところが、逆に重みがあり、本当に自分の無知を思い知らされる。
ともすれば、いつまでも変わらないというものは若さに捉えられるけど、無知だと言う経験値が低いということもあるかもしれない、知らない気が付かないという別のパラレルの世界の住人だ。ただ若く見えるというのと、変わらないというのは違ってて、いつまでも若いから観ようとしたり知ろうとしたり、下手に年をとってあぐらを組むのではないが、謙虚さがそこが余りありすぎると年をとって見えるとこはあるので、人間というのは複雑で、今見えてるものだってまだまだ、私の経験や苦労が少ない分しか見えてないかもしれない。
しかしよく考えれば、正論や正義を振りかざして攻撃してくる人は、見ているとジャッジにとらわれて、冷静に人や自分を見ていない事が多いのだなって思う。誰しも欲望もずるさも嫉妬やネガティブな感情があって当たり前なのに、自分にも人にも許さない人が多く、これは個性というより和を大事にしてる文化だから、いつも律してるのだろうけど、そこには許すというものがない限り、無理があり個人を殺す自分を殺し、何も見えない無知を作り出す。
それでもいろんな経験をして少しずつ見る範囲や自分の器を大きくしていけると、凝り固まった考えや思考の罠には捕まらない、体現や経験で得た知識も思考だけではなく心で受け止めて、心で見ることができるともっと違った見方や意味合いが見えてくる。私はバランスが大事だと思うから、正義感も欲望もあって当然で、そのバランスは内でも外でも同じバランスを取るように心がけている。
内と外が違ってバランスをとってる人が、内側が欲望外側が正義みたいに外面のいい人が多く、こういう人が攻撃をする人に多い、例えば無関心の人も猫可愛がりの人もこれに当たる。しっかりバランスが取れない、叱咤激励ができない人だ。そういう人は思いの外繕ってばかりなので嘘つきや仮面を被って外を良くする。とはいえいざという時は冷たく、社交辞令も知らないのかと言わんばかりに、蔑んだ目をする。
私の世界には目に見えない世界と目に見える世界は混在してて、どちらも信じてるようで信じていない、例えば物質主義でもなければ、スピリチュアルの人でもなく、どちらも納得がいくまで調べたり、検証したり、いろんな情報を視て聞いて、いろんな出来事を感じてそこで折り合いをつけている。
盲目的に何かを信じるのではなく、感じて実感して、それでいてミラクルや奇跡を実感するので、どちらも信じてるし、信じてない、中間にいる状態だ。だからバランスの悪い人、どちらかに偏ってる人にはモヤモヤして、前はそれを容認していたが、今はもうたくさんの情報を集めたので、特殊な人でない限り、関わって知ろうとはしないだろう。
それぞれは自分の世界に生きてるので、そこは尊重して、必要でない限り近づくことはエネルギーの無駄遣いなので、遠くからみるか全く関わらない、いない人にするかそんなことも覚えた。
そもそも自分の世界には必要ない人ではあるので、多分交わらない接点もないだろうし、近くを通っても気が付かないだろう。なぜなら、私の世界には存在しない人だから、こういう線引きをせずにいたから、店員オーバーになって、関わりたい人が近づけない状態や、私が逆にその人の世界に近づけないということになったのだ。
ここに至るまでは生きるための本能の不安を思考が作り出してることに気が付かなければならない。過剰までに攻撃したくなる意味を知らなければならない。自分が基本的にどっしり構えていたら、不安は消えていくし、相手が怪しいと思うものに根拠もなく怪しんだり不安に思うのは思考の罠で、自分に惑わされないためにも、その人や自分を知ることが大事だ。
そういうことも自分変わらないと見えないし、卑屈に感じるとひねくれていく。単純なのに複雑にして、紐がこんがらがっているのだ。か弱いや弱そうに見せる人や強い人プライドの恐ろしく高い人は、欲望が強い、どんな手を使っても勝ち取る姿勢だ、これが太陽の下で表に出ている人は、正直だが、裏でこのような人を装う人のほうが一見うまくいく、しかし策はあくまで策、策に溺れて何かを得たとか頂上に立ったと思った時、ボロが出る、演技はあくまで演技、天然には勝てないですということで、自分自身に正直に生きることが何より強い。
これがもし無知であるなら、低い山に到達するだろうし、目標自体が低い、別に生きる世界は自分が決めるし作るのでそれは各自の世界であるから、自分の世界を生きることは幸せである。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
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