自分の個性 人類の評価
お節介という優しさと自分の価値
人には都合のいいように現実を創る癖があり その現実は一面的な幻で 私は何とか真実とその歪を変えようとして 情報を集めて思考で整理すると 別の視点からみる現実が余計に見えなくなり 思考でだしたもので対応していく。
例えば自尊心が高いか低いかでも見えている現実は違うし、ネガティブかポジティブかでもかなり見えてるものは違うし、単純な感情ではないから自分の中でも外でも、色んな現実が平行している。
その時良かれと思って何もをしないと言う選択を取っていても、それはただ弱くて耳をふさいでいることだったり、相手を思って厳しくしてたことが、タイミングを間違えて攻撃だったり、自分の自尊心を上げるためだったり、優しくしていても内容や度合い寄っては、相手の成長の芽を摘んだり、思考する気力を失わせたり、そういうのをわかったつもりでやってたり、逆に悪意や自分の誇示が根底にあることを自覚してたり、うまく自分の都合の良いお節介というものに変えてたり、事実は人のことも自分のことも器が小さければ、情報も少ないからより都合よく言ったりやったりしてしまう。
表層意識は割と自分に騙されやすく、おやって築いたとしてることを打ち消して、容易くてよりわかりやすい白と黒に分けがちだ。
無意識や潜在意識はかなり把握してるのだけれども、表層意識だけしか感じられない小さい人は、安直な方法を取りやすい。
そこになにかの損得感情にさらされているからより一層自分の表層意識に執着するし、それを信じようと見える事で判断する。
承認欲求とか自己犠牲とか過大意識とか過小意識とか、善行やっ悪行などしかし意図しないことが悪意があったことが人のためになるとか、逆に良かれと思っていた善行ことが最悪の現実を引き起こすとか。
進むべき道 生きるとは
私が一番大事にしてることは変化、成長ともいうかもしれないけど動くということ。
早い話が多動しながら変化していくとも言える、同じではなく、瞬間瞬間のインスピレーションだったり感覚だったり、人から見たら無鉄砲で土台がないように評価されると思うけど、思いの外石橋を叩いても渡ってるし細部に渡って経験したことを蓄積して応用したり飛躍したりで、瞬時に計算して動く、変化となっている。
すべてが意識化できてないのだけれど、後で検証したり考察したりで表層意識は追いつこうとしてるのだけど、辻褄はあっている。
土台は確実に出来てきて、待つとか止まるとかしてくると腐り始める、流れてる水のような無意識だ。
意識の方が後からその線と線や点と点を結んで生きるということの目標や夢に繋がってることに気付かされる。
何か失敗したとして、タイミング間違えたとして飛び込んだことは後々何故それを経験することが必要かっていうのが大事な宝として身についていることもわかる。
ただ若かった頃はその時の見えてる結果で落ち込んだり自分を罰したりしたけれど、自分が思考で考えているようなスケールとは違い、もっと大きく動いてて、自分の今よりもっと遠くでもっと高くもっと広くこの命でできるだけ飛躍しようとしている無意識がいることがわかる。
だからその時その時の今の自分が小さく狭い世界で手綱をひこうとしてネガティブになっていることもある。
人は思ってるほど小さくも狭くも低くもなくて、それぞれはそれぞれのやり方で今を活きていて表層意識で狭くさせられたり、外部からの力 他人の評価で小さくされている。それも経験でそれがおかしいと気がつけば、新しいステージに一歩進める。確かに目に見える損得でイキるなら、失敗しないように傷つかないように壊さないように、楽に苦労せず生きていくほうが不安が少ない、が不安は元来どんなときでも現れて手綱を引こうとしてくるのは、長く生きる為の人間に備わってる機能だ。
その昔に何も持たずに無鉄砲に暗闇に突っ込んだら、そこは崖かもしれないし、腹をすかした獰猛な動物が待ってるかもしれない。
便利になりすぎているから、余計に不安が多く存在してるのだ。
ある研究で幸せ度を数値化したら、日々食べ物を採取したり、動物を狩りして今日の食べ物を確保しながら生きたり、魚を捕って生きているとてもシンプルな生き方の人たちや 都会で文明や便利に生きてる人のドーパミンやセレトニンといった物質を採取して比べると明らかに楽で便利な複雑さの人のほうが数値が低い。
多分意識が複雑になればなるほど、ネガティブになっていく、自己評価が落ちていく、そして損得や上下を評価の基準に持っていくと、返って人間の成長を遅らせていく、それが長生きになっていく。
この命の経験で必要な時間が延びていくし、逆に便利だから経験値での喜びができない、そして評価が歪んでいく。
走るのが速いとか頭が良いとかよく食べるとか、それぞれに手綱を引かれて人と人が意味もなく歪んだ形で評価し合う、要するに成長してない人たちが歪んだ方法で有利に立てるように折り曲げた評価が横行している。
もちろん経験を積む場所なのだから経験値の少ない人ばかりなので仕方ないのかもしれない。
ただ同じ人間や動物や自然がうまくともに成長し合うには原始的に生きるしかないのかそれでは冒険がないわけだから、この複雑な便利で不便な方が良いのかもしれない。
だから生きるには無鉄砲だろうが石橋を叩こうがその都度タイミングと流れインスピレーションなどが必要である。
そして今を知る自分を知る、目に見えたミラーとして人の姿で自分の姿を知るそして経験を認識するとも言うべきだ。
今何故その人と関わるか、とかそういう人間関係だって自分を知るの一部で、お互いが経験するため一番似た人似た部分、真反対な人真反対な部分を知るために、経験するために行動や発言などの相手を知ることが引き寄せられた偶然の重なりであり 必然なことだ。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
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