○○らしい服ってなんだろう。
人はこうも区別と差別をする生き物なのか?
ママらしい服、女らしい服、男らしい服、たくさんの○○らしいという言葉をつかわられる、どうして型にはめた分類をしたがるのだろう。全てただの簡単な分類でしかない。何故みんな一緒の服を強制されるのだろう。機能的なこともあるだろうがそれをどう選ぶかは着る人の自由ではないだろうか!分類を強制する人はこうでなければならないという頭の固さを暴露してるようなものだ。それだけ自分を強制の中でいるのだろうか。
四角四面のなかに押し込めようとするが四角とは人間の創ったものであって自然ではない。例えば昔の大工さんは家を建てるとき自然の形の木を使うので何処の面や辺も同じサイズのところはない。今の家は合理化した正方形や長方形の強制した家なのだ。そういう家は不自然なため長持ちしない、風も通さない四角四面の合理化した物だ。なのでゆとりがない、少しのくずれで全てが崩れる。
昔の家はゆとりがあるので揺れにも柔軟に木が撓んだ、風通しがいいぶん密閉性がないので涼しいが寒さのある家だ。現代の家は寒さは凌げるが密閉性のために湿気が溜まる、合理的に作られた物は技術は昔よりそこそこで善いようにマニュアル化された四角い家。自然界にはないシンメトリーな家なのだ。
これと同じように人を合理的に区別しやすいように○○らしいというカテゴリーで区別をするのだ。しかしそれは自然ではない、同じ人間は存在しない以上ざっくりしか分けられない物を無理矢理区分して合理的に分類してるだけだ。そうすることで便利な人やホッとする人がいるのだろうがそれはそれぞれの尊厳を冒している。
個人個人を大切にしていないことは明白だ、それは長い歴史の差別というもので便利に使われた。これで誰かが得をするのだ、優越をつける為に、人間には特徴がある、それは個人の違いであり、競争社会では格好の餌食なのだ。競争は悪いことではない、得意なことと不得意なことは個性としてある、ただそれだけなのだ、勝ち負けが悪いことではない、それでヤル気も出たりヤル気をなくしたり、個人の特徴が関係する。
○○らしいとは縛り付ける言葉であり意味はない。そんなことで差別はする必要がない、自分の好みを押しつけることはない。個人は一人一人大事だ、そして縛り付けるだけではなく、区別や差別に利用する言葉「○○らしい」。人間は1つの入れ物では入りきれない未来の種を持っている、だからママらしい服、女らしい服、男らしい服、学生らしい服、たくさんの○○らしいという言葉はなにも気にすることもない差別の言葉ということだ。そんな言葉を使う人はもっと言葉の意味を知るために言葉を学ぶべきだ。
自分らしさとかも計り知れない自分を押し込める言葉は必要ない、無限大の自分は自分なのだ。それと一緒でみんな誰にもある権利だ、そんな言葉を気にすることもなければ人に言う必要もないという言葉だ。
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