Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

愛は自分の中からしか生まれない

 

          愛という幻想

 

とかく、人はどんな人も愛を欲するが、愛ってなんだ、見えないし、現実主義者でも、お金の崇拝者でも、承認欲求の塊でも、仕事人間も、ぐうーたらしてても、病気でも、子供でも大人でも、男でも女でも、動物でも植物でもみんな、欲しがってる。

与えてばかりいる人も、奪ってばかりいる人も、愛を根底に欲しがっている。

何かの依存症や何かの中毒や、正常といわれる人も、名誉があっても、有名人でも、分からない愛を、幻想する。

お母さんから、お父さんから、恋人から、夫、妻から。

まず、三大欲求、食欲、性欲、睡眠欲がある。

しばしば、過ぎると良くなく、がないと生きていけないような、愛。

だが、この三大欲求、時々悪者になる、正義にもなる。その後、欲求はたくさんある、自己を確立するために、エゴが出てくる。

エゴも悪者にされる、コレって、複雑に絡み合って、私たちは表面的な自己を持つ。

苦しさ、楽しさ、悲しさ、怒り、憎しみ、美しさ、明るさ、暗さ、いろんな感覚や感情が入り組み、自分も人も、間違えたキャラを演じ、見ている。

人に見えるのが、実は自分で、そこにたくさんの自分を見ている、ユングでいう、ペルソナとか、影とか。

自分で思っている自分がある、合っていて間違っている、自己意識に、そのたくさんの感情で、自分が顔を出す、大丈夫、自分も人もわからなくて、生きてるって、体験、経験をとおして自分を見つける旅。

で、愛は、自分を愛することを学ぶために生きている。もちろん、人やものやお金や地位やあらゆる愛に埋没して、本当は、自分を愛するレッスンをしてる。

愛は、三大欲求の中にも有り、いろんな感覚や感情にも混ざって、私が私に問いかける、人が私に、ペットが私に、植物が私に、天気や月や太陽も、私に問いかける。

私の体も地球も同じ循環。

私には、欠点がある、自由、尊重、バランス、自然を求めるあまり、自分に対しての愛がおろそかになる、自分の自由、尊重、バランス、自然は、対するものにも与えるがそれが、耐えられないものになる時がある。

そして、疲れてしまう。

理想を守るあまり、自分への愛がおろそかかになって、何かを我慢するのだ。本末転倒である。

そう、愛は自分が、育むもので、愛は与えられるものではない、人とは、動物、植物とは育てるものだ。

愛を求めたら、私には侮蔑と屈辱とゴミのように扱われた。支配である、物質的な愛、見えるもので示したら与えてあげてもいいよって合図。

こんな人いるんだって、いじめて笑ってる、何が面白いの?

いじめることがこの人の愛?

そう、大体が支配と服従、コントロールを愛だと思う。物質的な愛、愛をやるからお前は何をくれるか?って迫られる。

大体が、多かれ少なかれ、そんな愛、多分それは、欲、愛欲だな。

がっかり、友情でも、愛情でも、支配が当たり前のようにある。一方通行的なもの、平等のときは、何かを要求する、されるのを愛だと思ってる。

おかしい、気持ち悪いし、誠意や尊重や慈しむとか育てるとかが、おかしい。

そういうふうに、何か、損得や上下、仕事や商売のようなやりとり。

愛って、一緒にただいるだけで、十分楽しくて、嬉し、そこに助け合いだったり、力を合わせたり、何気ないことを一緒にできる。

存在があるだけで、元気になる、お互いが。そういうのが、愛ではないのか。

もちろん、日常が特別ではなくても、存在が特別、思い遣り、時には言い合ったり、話し合ったり、お互いが、素のままでいられるのが、心地良い。

それは、自分が満たされてるから、自分が自分を大切にして、愛してるから、それは、自分を知ることから始まる。

そう、知る、どんな自分も知る、恥ずべきものはない、みんな多かれ少なかれある、いろんな面、それを愛する。

結構難しい、嫌だと思うとこ、弱さだと思うとこ、格好悪いと思うこと、逆に自慢できるとこ、高飛車や傲慢なまでに、誇れるとこ、全部が愛しい自分、どんなふうに感じても、それは、どうとでも解釈できる。

もし、自分が歪んでたら、もし真っ直ぐだったら、、少し曲がってるのが自然で、そう、育っていっている最中で、どんなふうにでも変化できる。

愛ってどんなふうにでも変化して、どんな隙間も上手い具合になだらかにしてくれる、安心するのが愛。

誰もが未熟で未完で、いいとこも悪いとこもあるが、いいとこも悪いとこも一緒で、感じ方、使い方だ。

それを素直に感じていて、そうなんだって包むのが愛。まあ、難しい、努力が必要か、やり方を考えるのが必要か。

そこには、損も得もない、上や下もない、それは存在してるかどうか?ただ、安らぎや安心が漂っている。

愛はエネルギー、漂う、波動、周波数、証明もできないが、気持ちが穏やかでいられる。

激情的で、アップダウンが激しいものが愛欲、これも自然に起こるが、いつしか、穏やかな愛に移行することもある、育て方、絶対、自己犠牲、他者犠牲ではないのが愛だ。

そう、自分への愛は、いじめ抜くのでも、正しさを求めるものでもなく、ありのままの自分を、慈しむことが、健全な、愛。

これは他者にも言える、奪うものでも、与えるものでもない、支配でコントロールする、支配と服従でもない。

これは、しばしば、暴力的な行動や言葉がよく言われるが、優しさや甘やかしにも支配と服従がある、これがよく間違われる、個人は孤立、自立しているものだ、自分や他者がバランスが、欠いてもいけない、行き過ぎてもいけない、そう、その人が、決めることは自分でも、他者でも守ることが大事。

そうそう、自分を人に見ているから、人に支配的な人は自分も支配されている、服従もそうだ、これは複雑に絡み合っていて、幸せな穏やかな愛とは遠いものだ。

好きと執着も、なかなか複雑だ、のめり込むと、ブレーキを踏む、逆にもう執着に巻き込まれる。ブレーキや否定をすればするほど、影に引き込まれて、歪んでいって執着になる。

そこは、外に引っ張り出して光のもとへ、明るい外で、認めたらいいだけ、無理にコントロールしようとすると、おかしな方向に、苦しみを呼ぶ。

これは、性格や、思いでも同じで、コントロールしようとすると、逆にコントロールができなくなり、影で育ったり、暴発する。

愛はそんなこととは無縁の場所にある。

知識で優しさは作れる、かわいいねだったり、かっこいいねだったり、庇うように見せたり、優しそうな笑顔や言葉。

ただ、仕草や目は嘘をつけない、これはコントロールできないのだ。

でも本当の優しさや愛は、ひどいことを、傷つけることを言わない。ひどい仕打ちやひどい行動もしない、そう、しないことが重要だ。

必ず、支配やコントロールには、ひどいことを、傷つけることをするのだ、あとでいくらでも゙それは作った優しさで、惑わすのである。

偽物の愛なわけだ、依存や執着だと、ここで取り込まれる。

気づくには、ひとつひとつ、削られていくようで、そこで自分に立ち戻る、自分にできるか?されるか?自分は苦しんでないか、無理してないか、支配側も服従側も傷ついているるはずで、このやり方が正しいとおもっている。

これは誰かにされた、それとも仕返し、健全な状態ではない。

間違ったらすぐ謝る、間違ったことに気づくわけで、あえて意識的にしてるのがコントロールである。恋愛の駆け引きがこれにあたり、これは恋愛ゲームだ。

愛は穏やかで、日常で、大きなドラマやプレゼントやイベントでもない、いつものなんてことないものが愛なのである。そうすると、自然に感謝や喜び、笑顔になると言うわけだ。

そこに、自然のドラマやプレゼントやイベントになる時もある。

が、そのありがたさは気づかない、自分にも他人にも、いつまでも若く、いつまでも元気でもなく、いつまで生き続けるかわからない、愛に気がつくのは、残酷な日常だったり、ひどい孤独だったり、裏切りや嘘にあったり、支配と服従の中にいると、あまりにも、平凡で、日常的なので、築くこともなく、そして、大きな傷だけを残して、一生は終えるのである。死はいつ現れるかわからない、後悔のないように、支配と服従の中から飛び出そう、穏やかな中で、幸せを見つけよう。

家族がいようが、恋人がいようが、友達がいようが、一人だろうが、そこに、穏やかな日常がないなら。

私たちは自分探しの旅をして、愛を見つけ穏やかに、自分探し、自分を育てている、愛を育てる旅なのである。

といっても、冒険好きの私は、三文芝居も仮面舞踏会もない、支配も服従もない、穏やかさと冒険を両立して、新しい道を新しい自分を育てるのです。

冒険といっても、ものづくりとか、新しい世界、しらない世界の探求、知らない自分の探求ですね。

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そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
住所 〒551-0021
大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
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定休日:火・日
代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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