ウェアラブアート Wearable Art
ウェアラブアート、芸術を着よう
ウエララブアート、これって、AIに教えてもらった。私はアートが着れる服っていうか、家具とか自転車とか家とかが着れるみたいな、そんなアートを目指していた。というか、やみくもに、日常的に、着る服より、見せるオブジェのような服、そんなのを、ずっと、言語化せずに、着れるということをメーンで、ただ、日常的にから飛び出さずに、イメージを沸かしていた。
が、どうしたって、ちょっと変わってるとか、奇抜とか、アシメトリーとか、服の概念から出ずに、洗濯とか、素材も飛び抜けないもので、どうやったら、イメージが創れるか、って。
デザイン画を描かずに立体的な作り方で、どこもアシメトリーあり、どこから見ても違うって言う、自然界とか、人間とかと同じように、オンリーワンなものを創ろうって、創っていた。
ある日病気で救急車で運ばれて、いつ死ぬかわからないっていうものをまざまざと感じたときに、逸脱しようって、もっと自由に今しかできないものを創ろうって、そこで、かねがね、いろんな素材で何かを創っているときに、アルミ線と毛糸で、服を創ろうって、数年前から始めた、病気の後遺症で、なかなか激痛で、しかも、生きてるってだけの日々で、一旦、自分を内観していたら、ただ、生きているってだけ、身体をもとには戻るまでの体力は無理でも、ただ、歩けるように、とか食べれるようにとか、ただ生きるのが目標になって、日々がすぎる、3回手術して、後遺症にも、見舞われながら、ただ生きる。
未来とかそういうのって考えられず、ただ、生きる。
内観も佳境になって、逆に自分のエネルギーが枯渇していった。体調や体力はできてきたが、何と生きる気力エネルギーがなくなっていった。では、新しいステージに行ける、この苦痛を抜ければと思いきや、蝶の蛹のような、わたしの中はぐちゃぐちゃだった、現実も崩壊して、新しいステージどころではない、今日を生きる気力もなくなった。
泣きじゃくる朝、笑い転げる朝、恐怖して目覚める朝、毎日が朝の起きがけで決まる。
そうこうしていくうちに、朝の体力づくりのウオーキングも、何もする気も失せていった。
そうして少しずつ、毎日、朝の感覚で今日を生きるのだった。
そして、時々、何かを創る、そんな毎日、何もしない生きてるだけの毎日の中、とくるものも、服という枠組みなんてどうでもいいかなって、売る前提はもうどうでもよくなって、創りたいとき作りたいものをと、少しずつ創っていった。
とても当てのない創作は、ただ、アートを着るという当初の枠組みのない立体的アートにしようってって、少し少しって創っている。
未来を見ない生き方はすごく不安定で、すぐに絶望したり、ちょっと優しい気持ちになったり、と、全く創るには順調でもない、宛のない手紙のような状態で、しかも、何語で書くとか、文体はどうとか、筆記用具はなににするもない、当てのない作品創りになっていった。
それは、言語化できない私がずっとやってきていた、私自身を創作する、渦巻いてる私の中の創りたいもの、洋服であってアートという名の、空間の遊びをアウトプットする、そういう作業に変わっていった。今を生きる、それが自分を知るということから始まり、やっと知った私が創ろうとしてたものが、ウェアラブアート(WerarablaArt)という言語をClaudeが教えてくれた。
そもそも、既製服とか日常の服には興味なかった。デザイナーという枠組みでもない、ましてや、素材も使い方も、目的も枠組みを間違えて、規格に押し込めようとしていた苦悩、私自身が、普通と皆が呼ぶ枠組みをはみ出して、変わってるって言われてるのに、そこを無理やり合わせている部分で、苦悩して、今しか命がないなら、なんでも今したいことをしようって、そういうことでもあった。誰もが違う、自然界と同じ、名称区分に惑わされて、自然界では違うは当たり前の同じ区分でも、全てが違う形が本当は自然であるってこと、自然の植物も動物も鉱物も、名称は同じでも形も内容も違う、そういうのが当たり前ってことを、本当は逆に教え込まれてたり、同調圧力で、押さえつけてたり、そういうそのもののいいところ悪いところを統合したものふんだんに、表す、それが自然っていうところだった。
オンリーワン、唯一無二なものが、目に見えるものと目に見えないものとが、からみあった、自分を観る、人を観る、私で言うそういう表現をするアートを着る、WearableArtウェアラブアートという、言語で、存在していて、知らずに創っていた、そういう表現って無限に合って、人それぞれの自分自身を深いとこでもってるものが、偶、私にとっては、そういう名称のようなものに、近いとこにいた。ちょっと名称をしれて、私はチョット面白いとも思った、たぶんそれぞれが違うものの、ちょうどした名称であることが、言葉ではある。言葉が縛り、普遍的なものが、また違うものへと縛る、それが社会で集団で、大きな区分とされてて、深いとこではない、表面的な普通、当たり前が大きく人を縛る、個性を押さえつける、そういう意味のない規定が言葉や人を規格サイズに形づくっているのが、普通という合ってない言葉が横行して常識とか当たり前といった、変化しつつの事実みたいな顔でいるのが、いつも壊れつつ、新しい普通に惑わされてる情景だ。
どこまでも自分に誠実で正直で素直なそんな生きる事が、今のステージだ。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。
| 屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
|---|---|
| 住所 |
〒551-0021 大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21 |
| 電話番号 | 090-5063-3092 |
| 営業時間 |
10:00~18:00 定休日:火・日 |
| 代表者名 | 角戸 圭子 (カドト ケイコ) |
| info@kadotokeiko.com |
