自由
自由とは
言語化するのにとても時間がかかったけど、自由って、自分に正直に誠実にいることで、大事なことは自分を人に明渡たさないことだ。
これって、多分、言葉で読んでも、実際わかるまでには、たくさんの経験と構造を学ばなくてはいけない。
どうしたって、歴史的にも、人間が自己犠牲をすることが愛で、それが女性や弱者のとしての幸せってなっている、強者になることが幸せって歴史がある。
ある時は、女性がナルシストである時は男性がナルシストで、ある時は集団の上とされる人がナルシストで、ある時は、大人で子供で被害者、加害者が、その場を支配するみたいなものに巻き込まれやすいけど、というのも、そういう社会づくりで集団は成り立ってるように見える。
人には弱さや強さがあって、その場での支配者はいち早く、人の弱さを意識的にも無意識的にも、察知して、自分の生存戦略や自己肯定感を高めて、自由を得てるように感じてるが、実際は空白で、自由はそこにはない。自由とは、自分を大切にして、支配とか依存ゲームに加わらないことだ。
ある意味孤独ではあるが、一人ではない、むしろ孤独が自分を見つける。
というのも、刷り込まれた、喜びや自分の存在を人で人に決めてもらっている。
これって、支配者や翻弄される人も、服従してる人も、他者に自分を決めてもらってる。
そう、誰もが囚われているのだ、ところが、何かアイデンティティを他者からもらって、自分を決めている。
この依存関係のもとでの構造はかなり入り組んでて、支配者が実はコントロールされてて、とか、実はどっちがどうっていう単純なおでもなく、まあ、構造が複雑に入り組んでいるので、解くには時間も労力もかかる。
噂や愚痴をいう人もそれに翻弄されてるカリスマも、実は囚われていて、自分を知らない。
だから、依存したり、コントロールしたり、人の口から出る言葉に惑わされたり、しかし、単純に、そういう人は、誰もが人の構造も自由も知らない、不自由な中で、自分が特別という妄想や自分がダメだってのに囚われてる。
もし、自分を知って、自分の誠実で、人にも誠実だと、自由だ。自分がコントロールできることって、実はほぼない、他者や現実や過去や未来も、できるのは自分の中で自分だけだが、自分と出会ってなければ、多分、一生自由を手にすることも、自分誠実で嘘つかないこともできないというか、やり方を知らない、で、それは愛を知らないとか、嘘を知らないとか、現実が見えないとか、まあ、全く妄想の世界の住人で、それはかなり不自由で決まりも多く、鎖に繋がれて棺桶に入ってる状態だ。
これがわかるのは、体験して、構造を見てこないとわからない、もちろん、無意識的に分かってるだけでは、半分囚われている。
特に近い人間関係でこの囚われが形成される、何でも疑問を持ち、照らし合わせる、自分の嘘のない物差しで、怖いとか、楽しいとか、悲しい悔しいとか、そこにも本当の気持ちの前にエゴにくるまれてて、それを分解して天日干しして、分析するのだ、そうだ研究者で、探偵で、全てを自分にさらけ出すのだ。
時には、きつい苦しいこともあるが、それが光と影の統合と呼ばれたり、自分の弱さ、他人の弱さを許すとか、まあいろんな言葉に書かれているけど、実際自分でそこに行かなければ、わからない。
意識にはっきりさせなければ、そこで、思考に任せて論理的にすると、まあ罠に落ちる。
思考はいわば警報器なので極端に解釈するのが好きで、自己犠牲や他者犠牲のどちらかの偏ってジャッチする。
特にエゴに取り囲まれて塔を建ててるから、実際の構造はたどり着けない。
子供の時から迷路を造って、生存戦略で、みんな生きてるから、この塔を崩すのも迷路をたどるのも容易ではない。
たくさんの解釈から、たくさんのフィルターを見つけて、あらゆる構造を見つけるのだ。
そこに感情は入れないが、感情は感じる、ポジティブやネガティブに分けずに、感情は誠実に引き受ける。
それが自分にとっての思いやりであり優しさで、愛でもある。
こうしていくと、自分の言動や行動と他者の言動や行動が、腑に落ちない、モヤモヤする事がある。
これが、たくさんの構造から来る、仮面である。実際言ってることもやってることも辻褄が合わない、演技であることが構造でわかり、まあ自分を知らない未熟な人が、、何かを演じるために、手の内が見えてることがある。
成熟者はそもそも演じないし、隠さない、ここで、言い訳したり、説明あちこちに散らばってる人は、自分というより思考で、自分をいい人に見せたり、悪い人に見せたり、まあ、単純なことを複雑に見せて、煙に巻きが実際煙の向こうつつぬけており、残念ながら、かわいそうな状態になっている。
弱さがかわいそうなわけでもなく、強く見せてることがかわいそうなわけでもなく、手品のしかけが見えているのに、かっこつけていることだ。
人間って、そんな大差ない、自分を見つけるまでは、自分をよく見せたり、強く見せたり、もちろん、被害者に見せたり、弱い人に見せてる人もいる。お金や外見も関係ないが、鎧のようにつけてるなら、そこが弱点でもある。
ただ、外の世界では、未熟な人の集まりから始まるので、まあ、言ったら訓練でもあり、宝石の研磨でもある。
だから、一見は個々に馴染むために塔を作ったり、鎧を着たり仮面をつけていく。が、実際はこれが窮屈で、自由がなく、自分を苦しめてるのだ。そこには、いい人になったりナルシストになったり、支配者や服従者になったり、とにかくいろんなものを自分にくっつき始める。そしてそれを、今度は壊して更地にするわけだ、基礎工事のやり直しともいう。
ここで、演じるために自由はない、手品の種が見えてると、あっちこっちと大きくブレる。
どんなに自分を知ったとしても、奥は深く、自分の無意識は広いし深い。
ここで、人との関わりで投影して自分や他者を知るのだ、そこは自由の入り口で、外の世界と内の世界の架け橋でもある。
実際、自分がどんな人か他者がどんな人かは、たくさんの自由の中でしか、見つけることはできない。自己統合した人たちはその、第二のステージの自由の世界に足を踏み込む。
かなりの冒険だ、そして、本当の個性に出会うわけだ。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
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