意識が自分の世界を自由にする。
被害者マインド
武道からみる被害者意識が強い人が作ってる身体の特徴は、問題が起こったり、人の問題の話をしていたら、自分が怒られていると勘違いしている、その時は扁桃体が異常に過剰に縮んでいてこめかみと眉間が固まってる、つま先の特に親指に体重がかかり腰が引けて手が前にいく、猫背にもなっている。心理的には認知を歪めたくなり、他責にもっていったり、関係のな言い訳を言う、普通一般的にはと論点を変える、防御姿勢である、結局自己認知が歪んでいる。
扁桃体の過剰に反応してることの反対は、冷静に高い位置で俯瞰に理性を働かしている。
扁桃体が異常に反応した時には、いろんなところを伸ばす、瞑想や呼吸を整える深呼吸するとか言われるが、簡単には大の字に寝転んで体を伸ばす。身体のあらゆるところを伸ばすことで縮んでいるところを緩めることをする。
やはり脳の動きが身体全体に影響して、思考や行動や発言ができ表層意識で性格とした現象になる。眉間にしわのある人はやはり扁桃体が、外部からのストレスや恐怖を 異常に感じてネガティブに取り入れありもしないことに 怒りや恐怖を感じて認知が歪んだ形で過剰な自己防衛してるので、傍目から見ると意地の悪い、人を罵倒する人にしか見えない。本人は正義感のあるいい人だと思っている、相手が悪いと何もないところに悪意を感じるのが表層意識で、実は自分のエゴに気がついているからこそ、認知の歪みがあり、それだけ表面的に上手くやることに力を注ぐから、身体や行動や発言が一貫性のないちぐはぐになる。疑問がある、だいたいそういう人は人との会話が表面的で建設的な話ができにくいってことに気がついてるのかな?
何か隠蔽的に物事を隠したがり、批判的か自慢的な内容しか話さないから、会話のキャッチボールがおかしい。何か問題が起こっても、皆で助け合って対処しようという事もしないしなんなら、批判側にまわる。家族や仲間うちや仕事仲間とか普通は問題が起こったら、助け合うためにどうするか話し合うはずが、誰かが悪いみたいななすり合いとかになったり、他人事のように我関せずみたいなコミュニケーション能力が欠如している。私だけがおかしいのかと思うくらい、その人たちと話す時に、モンスターペアレントかなっていうぐらい、会話ができない。
本質は自然に選択してる
価値観の違いだからとよく言われるが、いつも話しが悪口や陰口にしかなってない、問題発起して人のネガティブな面らしきことを、思いつきで話すが、その話をどうしたくて話したかと言うとストレス発散なだけで、ただ悪口に同意してほしいだけなコミュニケーション方法で、話された方はただ不愉快な気分なだけで、そのことに関して建設的な話をしていても、それに対して悪口に対して同意を言わせようと、延々と悪口陰口を伝え続ける。そして意見が違うと怒るのだ。そんなコミュニティが多く、全く話が面白くないが、例えば仕事場なら、人の悪口はいいたくないから、自分や家族の面白い話をする。自分下げ家族下げみたいになってしまうが、それでも失敗談のほうが場は表面的にでも盛り上がる。
もし誰かの良くないことを見つけたとして、それをただ指摘するだけで、鬼の首を取った正義の味方だとでも思って指摘して、それが指導だとか人のためとかと思ってみんなの前で断罪する、あまりにも稚拙だ、子供の頃の喧嘩でしか無い。人は少しずつでもどうしてこうなるか、どう感じてるのか日頃から物事のことに解決することをしてこなかった。問題やトラブルが起こったときに、いや普段の日常的なことにも、人の内面や自分の内面をみようとする人はおらず、ただただ上げ連ねて誰かを悪者に仕立てて気を済ませてきただけだ。意見が違う価値観が違う時にこそ、何度も何度も話してジャッジすることは置いといて、出来事のすれ違いを出し合うことから始まる。新しいアイデアだって生まれてくるチャンスをみすみす棒に振る。コミュニケーションとは、裁判するのではなく、まず意見や考えを出し合うことで、何がズレてるか何を思っていたのか、話すことで、自分自身の気持ちや考え方も整理される。思ってることと行動や本質的なものも自覚や他覚できていく。ここに勝ち負けや隠蔽体質だと延々と無意味な迷路に入る。ただそういう本質的な話をする人はおらず、話し方さえ知らないことのほうが多い。ひとはそれほど他者にも自分にも関心がなく、表面的な感情で思考してるから、人との関わりは仲が良い友達や家族や恋人であっても、表面的な付き合いしかしようとはしない。多分生きていく中で誰とも自分とも関わりを持つことが一切ないのだ。私は誰?横の人は誰?って状態だ。
恐怖やストレスの時に、俯瞰して見れることのほうが冷静に現実が見えてくることがある。
どういう選択を日々するかで 肉体も心も思考も行動も少しずつ決まってくる。三位一体というが本当にそうで、顔つきや体つきや発言や行動や思考が少しずつ自分の選択で決まってくる。この時エゴに翻弄されて悪魔に自分を売ってしまう人は多い、そして侵食されていて遠く人間の魂を無くしてしまうことに気が付かず、見える世界も狭く、感謝をしない人になる。いろんな面を学ぼうとしない、脳も変なとこだけ使うから、そこばっかり機能している、他人を利用してこ狡く生きる自分の成長が物質や見えるもので測る、それにはどんな方法を使おうとも、自分を汚そうとも、人を踏み台しようとも ただそれを長く続けると当たり前担ってしまう事が問題で本当の成長にはならない。周りはそんなふうな空気で行われてるなかで、染まったほうが楽ではある、世の中は楽で早く得な事が良いと思われていて、本当の意味では成長した人はどんな年齢になっても 少ないから、表面的な価値観で惑わされて言いなりになる方が 自分の価値があったり、よく見られると錯覚する。仕事は出来るけどプライベートのコミュニケーションはできない人は、確実に仕事も出来ていない、出来てるように見せかけてるだけだ。全てにおいて人との関わりが何にでも関係する。狭い視野で狭い器だから、すぐに知識や経験はいっぱいになって、歪んだ自己肯定感が増大する、偉そうに振る舞う、裸の王様だ。勿論誰でも完璧な人がいないからこそ、歪んでいる自己肯定感であっても本人が内観をしないでいるのであらば気が付かない。
人は何にでも挑戦して冒険して、どんな事にも覚えたり知ったりしていくことはとても楽しい、そんな人は成長しやすい。いつでも遅くはなくタイミングがくるだけだ。
基本的な事は少しずつ理解できる、いろんな人との関わりや出来事その時かなんじたことは、いろんな経験で新しい見方もできるが、決して昔感じた事も忘れてはいない、本でも映画でも見たとき見たとき感じ方も見え方も たくさん増えているし、広く高い見え方もある。同じ日々の小さな出来事にも新しい感じ方もあることが、それは特にはポジティブやネガティブなものもあれば、達観した感じ方や ひどく幼い感じ方もできる。それは情景や体調や季節などからにも影響はあって人の感情は複雑なようで単純で、感じる心を持ち合わせてるか?わからないということに気がついてるか?それが本質的なもので、無限大に広がる自由を自覚していることが大事である。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。
屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
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