愛とは今地球で起きていること
いつも愛は人に別れをもたらす
愛とは何か、執着なのだろうか、依存なのだろうか、与え合うものなのだろうか、奪い合うものだろうか、縛り合うものだろうか、表面的にはどこにでもありそうで、笑顔を見ると誰もが愛し合ってるように見える。親子や夫婦や恋人や友人や家族や仲間や師弟関係やクラスメイトや近所や街や国や地球や。
しかしなぜか今までの人間同士の愛には羨望の為か、自己防衛のためか、嫉妬や憎しみや略奪や勝ち負けや執着や依存や支配欲や従属欲や献身欲などが入り組んだものに変動してしまい、傷つけ合い支配的なものに変容する。愛には似ても似つかない大きな牢獄や愛欲の沼に陥る。そんな人しか会ったことない、まだ愛を育んだり溢れたりする人には会ったことない。自分も愛と言って自己犠牲との引き換えに得るという条件のある愛しか上手くできない。
愛とは好きとかと違う、もっと根底に深く根ざした大きな大木、樹齢何千年何万年の長い年月を育て生きた大木なようなそれが愛ではないか。
いろんな人に出会い、何か居心地がよく、いっしょにいるとちょっと緊張したり、でもなんだかホッとして何も違和感を感じない関係や場所、何か説明のつかない懐かしい初めて会ったとは思えない好きから始まり、少しずつ育むのが愛ではないか。
それは誰でもない貴方と育むもので、そこに何かある目に見えない愛のエネルギー。魂から感じるその愛は、人間ではない肉体を持たないかもしれない、草や木から溢れ出るエネルギーかもしれない、その愛に触れると癒され心が豊かになる、それは自分から溢れる愛かもしれない、人や犬や猫から溢れているのかもしれない、ただ寂しい人や裏切られたり、虐待された鳥や犬や猫からは愛のエネルギーを吸い取るかもしれない、話さなくてもそれは分かる。そしてあっけなく関心や興味を失うのが恋である。
愛は穏やかな灯火のような光、心の平穏や自立した心、そしてもう一方の欲望で燃え盛る愛情が依存や執着、嫉妬などが二人にも周りにも燃え盛りあらゆる物を燃やし一方的に与えたり、一方的に奪い合うものは本当の愛ではなく、激しければ激しいほど愛欲、だから愛欲になる前に一旦距離を置き別れていく。普通の恋愛はエゴで結ばれるから。
愛は育み積み重ねるもの、そこからは穏やかな光と周りも巻き込んで温かな灯火のような温かさが光とともに溢れるてくるものではないか。
ただ今から愛が必要になる、もう物質世界から精神世界に移行している、地球のエネルギーが変わりつつある、地球自体が愛のエネルギーの波動の星に変わろうとしてる。
それには地殻変動でたまったエネルギー放出しようとしてる、地下のその地球の中心からたまりにたまった重いエネルギーが表面化して、軽い流れや風のような軽い波動に変わろうとしてる。怒りや憎しみ恨みといったネガティブな意識が重い辛いエネルギーが風の流れによって弱まっている。今はまだ重く遅い最後のエネルギーが出続けるまで、人が長年だし続けた戦争や拷問やいじめや妬み嫉みの負のエネルギーが地殻変動とともに災害や疫病となって、地球が膿を出し始めている。個人的や集団的にも今から負の膿を出し柔らかい軽い、しなるような動きをしながら、地球の生物が共存できるような感謝と育つしみ、優しい愛の星に変わろうと地球が上昇し始めている。いつまでも物質にしがみついて地球から奪い合う自然から奪い合う生物から奪い合うような争いや損得の中で目に見えない風や匂いや波動といったものを無視していたために、破壊を繰り返される地球が目覚めたのだ。
それは私たちと同じような地球の決められた成長と破壊と再生の始まりだ、そこには愛のエネルギーが必要なのだ。個人でも長年のネガティブな感情が湧き上がり、悲しみ苦しみ怒りが浄化を始まりその時は大きな苦しみがある、それが幼少期のものかもしれない、それは過去世のものかもしれない、突然今までの記憶が理由もなく湧き上がり、泣き続けるかもしれない、怒りや喜びが突然目まぐるしくジェットコ―スタ―のように起こり、前に後ろに進みます、そして緩やかに新しい愛を受け入れて、自分を受け入れます、瞑想や自然を浴び少しづつ愛や思いやり優しさのエネルギーに自分自身を置くのです。物質世界は少しづつ価値を失い、技術や経験、物質的な豊かさや利害優先が意味をなくしていき、その価値がなくなっていき、新しい価値、愛や純真や創造が価値を生み出します。愛や奉仕や共感、共鳴しながら本当に人としての地球の一部とし大事な成長をとげ愛に移行する、愛がある創造が大事になり愛のエネルギーが流れていき、そこに人は感じ必要としてくる、芸術や美術や音楽や文学や新しい創作や自然の愛のある波動。美しさの中の暗闇は重苦しさを緩め人々の愛や育みの愛のエネルギーや波動となり、距離や時間が今までのように決まったものではなく、変容していく。地球の時間は利害に支配されるのではなく、個人的にも集団的にも成長をなす時間のあり方に変わり、新しい価値観ができつつある。人類がもともと持っている内なる愛のエネルギーを思い出すのです。自然や生き物と一緒に、そのネガティブな感情や欲望も変容し新しいエネルギーに変えられるようになります、だからネガティブな感情や欲望を素直に感じ愛のエネルギーや波動として自らのエネルギーにします。これは今は簡単ではありませんが、ネガティブな感情や欲望を隠したり、誤魔化したり、否定的な排他的に押し込めたり、消したり、誰かや自分にぶつけるのではなく、感じたことで優しく自分を抱きしめるのです。光と影はあるのが当然ですが、物質世界のように影が繁栄するのではなく、光が繁栄を担うのです。自分を愛することから始めましょう、自分の中からネガティブな感情や欲望は間違った感情ではありません、自然な流れです。
もし物質世界の価値に執着するなら、少しづつ世界が変わっていくことに意識が向かず、今までの物質世界のまま生きていきますが、愛を受け入れ感謝を思いいつでも成長を受け入れるなら、その選択は自由です。
それは個人的な裏切り、足の引っ張り合い、自己中心的や支配や欲望やプライドや集団的な支配や戦争など人は、少しづつ緩やかに地球のエネルギーや生き物のエネルギーから新しい価値観の種が芽を出し始めている。
愛を選択をする人達が一人一人自然に内なる自分の世界から愛の波動が溢れ始める。新しく生まれた命は、すでに波長はもう新しい地球の愛のエネルギーを持って生まれてきてます。歌を歌いましょう、絵を描きましょう、あらゆる創作物に自分の愛のエネルギーを乗せて溢れ出させましょう。
自然を育てて自然の恩恵の愛をもらいましょう。諍いや憎しみはその愛のは波動で浄化されます、重苦しい嫉妬や嫉みも早く身体から抜けていき愛のエネルギーが入ってきます。もう虚栄心や承認欲求やネガティブなプライドなど重い影の波動は軽くなり、そんな気持ちになったとしても沼にはまることはないでしょう。自己中心的な繁栄や喜びが虚しいものだと孤独感を感じるでしょう。
それも成長のプロセスで、今までのネガティブな学びの時間の地球は終わりを迎えるため、成長を続けています。
もう少し移行の時間がありますが、今までのようなゆっくり時間をかけていたものが少しずつ風のように進みを早めます。
愛とは私たちが学ぶために地球に生まれてきて地球と一緒に私たちは愛を育てるための愛の先発隊ではないだろうか。
物質世界の時から自分の中で愛を育てて、実践しながらそれぞれ学び歩んでいるのではないか、そこに物質世界という影の反映でより選択を迫られたのだろう。
やはり愛を育てるためにはネガティブな影は対比として必要で、それも私たちは一人一人自由に選択を迫られ、影の世界を選択してたくさんの人が不平等と殺戮や自己中心的な奪い合いに明け暮れたのではないか。
そして決められた期限が来て地球全体で変容は本格化したのではないか。
愛は感謝と共存と助け合いと感じ合いと思いやりと先を見据えた創造性なのだろうか。
そこには時に間違ったり迷ったりしても寛容でいて、いつでも変われる体験や経験を経て知る時に厳しく優しく成長し合うもので一人一人が作り上げ、大きな力として皆で作り上げるもので、その表し方はたくさんの方法でそれぞれの才能や得意なもので創造し出来上がる空気ではないだろうか。
まだまだたくさんの愛は湧き上がりたくさんの喜びや幸せが広がるのではないか。
そして豊かさが集まるのではないか、だから失敗は必要で始めからわかった振りすることではなく、起こることや知ることをすぐに諦めたり嘆いたりすることはあっても視点を変えて新しい見方や知り方がある愛はそんな時にも溢れてるのではないか、そして素直に好奇心を持って学ぶ、それはマネから入ったりしてもそれが愛を真似してみても、そこから自分が改良して新しい愛を見つけることではないか。
周りを見よう今まで優しさや感謝や愛を差し出した人やもらった人は、アンバランスではないか。あげすぎるのも貰いすぎるのも依存や執着からではないか。あげ過ぎも貰い過ぎも人を狂わし、沼を作ってしまう。もし自然にしててそうなら、まず自分を知ろう。
ます自分を愛すことから始めよう、冷静に客観的に見つめよう、愛はなにか自分で答えを見つめよう、そして実践しながらまた、周りを見よう、その繰り返しで、本当は何を感じ何を思っているか、そして自分を知ることから周りも見えてくる。都合のいいように思考の罠に入ってないか、当たり前は無いことに気が付こう、楽にできることは誰かが見つけてくれたり整理してくれたり、作ってくれたり自分一人でできることはない。生まれたことさえも親がいるおかげだ、道があるから自動車やバスや自転車や歩く事が容易くできる。野菜やお肉や魚、食べ物を簡単に買うことも、いろんなものは見えない知恵と働きがあって手に入りやすい。
愛は気がつくところ自分一人で自己中心的に成り立ったものはない。
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。
屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
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