Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

愛ある風景

 

 愛のない暮らし、ではなく愛は答えてくれます。

 

愛のほころびは些細なことで露見します、居心地悪かったり、疲れたり、元気なくなったり、感受性が強いと、精神的にも肉体的にも、やられます。ペットの調子や観葉植物の調子や私達人間より高い波動な動植物は顕著に現れます。うちの実家に飼ってた妹の犬は、妹が亡くなって数年じわりじわりとうつ病の症状が出て、人を拒絶してガリガリに痩せて死んでしまいました。私は帰省のたびに散歩してたけど、大型犬で扱いに困り、家の中で飼ってたのに、外で散歩もせず、無関心に両親に放置されてました。

愛のほころびは、見逃しがちです、私は今でもあの明るい甘えん坊の凪ちゃん(犬)がぶくぶく太ってガリガリに痩せて、呼んでも飛びついてこなくてガリガリに痩せた身体がうずくまって顔を隠した仕草が思い出されて、本当に悔やみます、積極的に助けられなかった、方法はあったはずなのに。

普通の場面でも人間同士で、職場とか、家庭とか対人間同士で感じたりしたら、とても萎えます、例え親しくなくても、親しいなら尚更、つらい気持ちや、悲しかったり、苦しかったり、怒りが湧いてきます。

何故かそれは空気を読むという言葉で、蔑ろにすることが当たり前のように強いられます。大人の対応というやつです。

そこで人間同士は気薄な関係を作りあちら側な人という対処をします、誰がこう教えてきたのでしょう、自分で逃げていたのか?諍いや喧嘩を避けるため、仲良しを演じるか上下を決めるためか、自分を守るためか。

親しくなければよいのですが、何かの縁がある、親子や恋人や夫婦や兄弟や友人や師弟関係や職場の関係や兎に角、人間関係が親密や親しさなどがあればあるほど、表面的な顔だけで関わるのはとてもつらい関係です、それはないものねだりでしょうか?愛を期待しますが、期待する愛とは情愛でしょうか?

親しさは互いに助け合うとか信じ合うとかだと思いましたが、何かの時に冷たい感情や態度を見たとき例え自分の話や自分の人間関係ではなくても悲しく淋しく感じます。

そうです、愛ってちょっとしたことで垣間見えます、ここって時に、しっかりした信頼関係がはっきりします。ただ親子だろうが、夫婦だろうが、恋人だろうが、友人だろうが、ただの顔見知りだろうが見ず知らずの人だろうがはっきりとした人間性が現れれます、それが愛です。

だから愛とは、その人の元に脈々と育てたもので、その人の本質的なところで育ったものです。

話や態度の端々の些細なことで見えてきます、感覚が鈍いと気が付きません、人の話だったり人のフリだとかろうじて気がつくときがありますが、それは大体自分がやってる行動です。

しかし、人が自分にやった嫌なことと認識して相手を断罪します。自分の投影に対しての行動か、それがただのお節介か、そのネガティブなことに目がいき感情も囚われていきます。

なので何故か相手はポカンとします、いつも日頃されてることなので、ネガティブとは思わずしても許してくれることなので、相手の思いやりだけを欲しがります。

空気を読んでしまったから我慢してしまったから、大人の対応をしてしまったから、些細なこととして流したから、そんな世間の当たり前を訓練したら、おかしいという対処ができません。それが些細ではなく大きく成長しても、全てが、悪意ではないこともわかっています。価値観のズレで言い合いになった時悟ります、何度喧嘩しても、話は聞いてもらえていないと、言い訳のような話が本心だと思って納得していると勘違いされて、私は貴方があの時言ってた論理的に破綻してる主張覚えてるよ、私は人の話聞いてるよ、感情に任せて感情を喋っていたけど、何だったらLINE読み返してみたら、と言っても私の文章は難しいらしいから、私は読解力の問題かと思った。子供の頃の学校が教える勉強法。ただ覚える、正解と指定された答えしかない、国語だったら、誤字脱字文法を間違えないが正しく、個性のある表現は間違い、何通りもある答えは間違い、教科書に書かれた文章を抜き出すことが正しい。と考えたり感じたりすることをさせない、答えは一つ、個人の考えや感じ方は間違いという訓練。マニュアルというやり方。

多分元来の日本ではない、戦後からの没個性、明治維新からの没個性。

誰か権力を持った人のための搾取するための訓練。それが身体に染み込んでしまった思想、決してあなたの考えではない、どっぷり浸かった考え方、まだ抵抗してたとき、ぐしゃっと潰されたんだね。それがいつかは知らないが、元来個性は見えてたよね、長いものに巻かれたのに、私には見せかけで合わせた振りしてたよね、さも周りが悪いといった感じで、いっそ没個性に賛同したって堂々としていればいいのに、多分自分の中で納得してないから、話の辻褄があってないんだよ。それを大人の対応として、賢い選択として、馴染んでいく、それを選んだんだね、それは自分で選んだんだから、堂々としていればいいのに、私と意見が違ったって、お互いが受け入れれば良いだけなのに、誰も悪くないから悩んでる困ってる振りしなければ、ただの意見、相手を否定することもないのに、ネガティブな話じゃなくて、感謝の話なはずなのではないかと思う。

結局求め過ぎると見えない、信頼関係がないと無いものばかりを見てたら愛は育たない、波動が違うとクロスしない交わらない関係なので、たまたま合う人も違う人、同じ人でも違う面で関わる世界が違ってきます。

いくら変えようとしても話をしても世界が違う、わかり合えない、、信頼関係も築けない。これは道ですれ違う人が全く変わるか、そんな人は関わらなくなったかで、はっきり世界が変わり愛が見えやすい世界にいけます、ちっぽけな事からの喜び、感謝温かい気に触れます。

これは実践してはじめて感じ理解できます、いつも挨拶しなかった人に挨拶したら、必ず挨拶は戻ってきます、そこになにか一言思っても見ない言葉が聞けます。

人んちの花壇がとても綺麗でつい挨拶がてら花壇がきれいだと言うとお花を分けてもらいました。いつも通る道の亀に挨拶すると、ピィ゙シャッと水を鳴らしてくれるようになりました。

そんな方にばかり目を向けてると悲しい話や暗い話がそんなに入ってこなくなりました。

自分が変わるが一番生きやすい場所にいけます、ネガティブな波動に取り込まれない、しかも自分に起きてることでもなく人の悩みを聞いたり見た時に、そこら中に不幸はあるかもしれないが、幸せや愛もいっぱいある。

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アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
住所 〒551-0021
大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
営業時間 10:00~18:00
定休日:火・日
代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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