人生の正解、不正解
問題を考えるとき
ものを覚えるとき色んな方法がある、いわゆる勉強か学ぶか盗むか覚えるか。大体はマニュアルを教えることが多いので与えられたことを覚える事を勉強とされている。
私はマニュアルを教わるのは不得意だ、理屈抜きでマニュアルどうりにしてると、結局分かっていない覚えられない、むしろ下手になる。
自由にすると知りたいことだけするので、理解度は高まる、時間はかかっても深く知ろうとする。苦手ですよマニュアル、車の運転の時の教習所とか、指示をしてるだけでとりあえず教えてる的な指導。
逆に教えるときも全てを教えろ的なので、できるだけ丁寧に教えてもわかんないんだよ!自分で考えないと物事は簡単じゃないんだから。
勿論「わかんないことあったら言って下さい。」って言われるけどわかんないことが言えるくらいなら、自分で出来る。わかんないことだらけだから聞いている。
感覚的なものや技術的なものは盗むしかない、練習や自分の力で学ぶしかない。答えが1つではないのでマニュアルはあり得ない。
何でも自分で考えて見つけ出すしかない。それもどんどん更新されるので答えも終わらない。学ぶということは人によって考えて行く過程も結果もみんな違う。
道は迷うもの、人生に不正解はない
まだまだ絶対の答えもない、ずーっと上書きしていって新しい答えを見つけ出す。それは楽し事だ、ずーっと同じ正解では飽きてしまう。新しい正解を探す、正解は無限大。ということは不正確でもある、不正解も無限大。
ファッションではどうだ、ファッションは基本的には人が着るものなんで、正解は人がいる分だけある。好きなもの、落ち着くものが正解。私は飽き性なので、根本的には一緒でも変化する。
ファッション好きな人は身近に好きなものが存在してなければ、探すだろう、探してなければ作るだろう。大体の人は身近に好きなものはあるのだろう。そこまでファッションにこだわららない人も多いだろう。
何でも楽しむ方がいいだろう、直ぐに出来たり分からなくても、どこかに道はある正解はある。そして結果不正解であってもどこかに進めて役に立つ。
やはりどこかに道がある。なくても探す楽しみがある、どんなに壁が出来てもそこはそれ、その過程が面白い。簡単じゃないからオモシロイ。余り上手くいかないことや不正解が続いても何とか工夫して、決まってない道を探すのも面白い。
なにをしたってどうしたって誰もが一人で同じではないので、マニュアルでは通用しない。そんな道のり楽しいじゃないか。
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