洋服はアートになれるか?
表現という洋服
洋服は日常ただ裸を隠すためだけに着ている人とか、当たり前だから着ているだけの人もいるだろう。いやそういう人の方が多いだろう。ヘアスタイルやメイクアップみたいに、個性として着てる人は少ないだろう。表現方法として目立たせないとかスタイルが良く見せたい、格好よく見せたい、強く見せたいとか自分がなりたいものに見せる人もいるだろう。
細く見せたかったらストライプの物を選ぶとか、細く見せたいところに濃い色を縦に持っていく、ウエストとかもも二の腕に濃い色の切り替えのものにするとか、足を長く見せたいのだったら、ウエストのピントをあげるとか色々テクニックで出来ることもある。色でも元気そうに見せるのだったら明るい色を着る。落ち着いてみせるなら濁った色くらい色などテクニックできるが、薄い色だと顔色は良くなるが太って見える。膨張して輪郭が曖昧になるからだ。
白い色を着ると光に反射してぼやけてくるので若く見えるが紫外線を浴びやすい、黒ぽい色だと光の反射を吸収してしまうので熱が生地に集まるので冬は暖かいがその分は顔には光の反射がない分、老けて見える。よく写真を上から撮ったら10歳若くしたから撮ったら10歳老けるみたいに光で左右される。そういう意味ではなくて個性を出したいならそう云うのとは違う解釈でアプローチしてみるのもありだ。
アートとしての洋服
洋服自体は着る前提、着て動く日常過ごす前提であるが、オブジェとして見れないのだろうか?用途がハッキリしてるものではなく観るもの。器は使うものもあるが飾るものもある。ギャラリーとかでの展示としての魅せる洋服やファッションショーや写真の魅せる洋服はあるけど、オブジェとしての洋服が家のインテリアや着ていてのオブジェにはなれないのか?コスプレとかなにかの衣装とかも洋服はいつもなにかのための服でしかない。
どうしてもキワモノ扱いされてしまう。ファッションはアートになれないのか?永遠の議論はつきない、まあ今は独り言なのであるが・・・・・・。洋服を超えて生地でアートというものは昔に見たことがある。糸のアートもついこの間もやっていた?着れない服はもう服ではないのか?なんかどうでもいい話になってきた、アートにルールなんてないはずだ、これはアートだっていったもの勝ちだ。誰に否定されようが、賛同を得られなくても創った人がそういえばアートなのだ。
綺麗さとか良さとかが大事ではない、表現したいものがアート、それを着るものに消化するのはむずいなぁー。あーだこーだと考えるのは面白くない、無意識に創るのがいいなにも考えず創るのがいい。
非公開: ハンドメイド ホワイト&オレンジステッチワンピースドレス AW2020-4-A
商品紹介
ハンドメイド パープル&ブルーチェック織トップス
商品紹介
非公開: ハンドメイド ドレープフリルワンピースドレス トップ付
商品紹介
非公開: ハンドメイド シースルーピンクリボン風ワンピースドレス AW2020-7-A
商品紹介
関連情報
Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生
Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、
デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、
その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、
アートを着るように楽しい気持ちで、
世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。
屋号 | Sowelu.keiko kadoto |
---|---|
住所 |
〒551-0021 大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21 |
電話番号 | 090-5063-3092 |
営業時間 |
10:00~18:00 定休日:火・日 |
代表者名 | 角戸 圭子 (カドト ケイコ) |
info@kadotokeiko.com |