Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

愛は自分を見つける旅

 

       愛は進化、人間も進化

 

人との関係は自分を見つける旅である、自分を見つけるとは、顔形や体型などの表面を流行りや人に合わせる都合のいい人や、人から人気の虚栄の人になる行動ではない、内面も演技や人に合わせて、三文芝居や仮面舞踏会で、輝いてみせる自分を作ることでもない。

生まれてから適応するために、自分を置いて、人に合わせるのが常識、一緒にトイレに言って、一緒に恋バナして、一緒に一緒に、って、楽しくするには、友達100人作るのがいいなんて歌を聴きながら、家族では、怒られないよう、がっかりさせないように役に立つか、横柄にするか、そこに居場所を作るため、誰だって、優秀で好かれて楽しい日々をおくろうとして、社会とか学校とか家族とかの集団に適応する。

そのために、うまくしてる人やことを真似たのかもしれない、ちょっとした自分の考えを口にすると、否定されたのかもしれない、嫌われたのかもしれない、それがとても正しく、平等であったとしても。そこで、自分を隠す癖がつき、強いもの、親や先生、うまくいってるように見える人に従う癖がつき、隠した自分が、人に写ってること知らずに見える。

人と関わるとき、それぞれが自分を人に映して自分に出会う、それが恋や、友情でも、親でも子供でも恋人でも夫でも妻でも、おじいちゃんやおばあちゃんや職場の人でも、好きが嫌いが、自分への欲求、エゴを見せている、だから見えるものを消すと、恋が終わる、人との関係の中で、成長させあえる人と縁が繋がる、が、人との関わりがきっかけで実際会わないで影響するエネルギーもある。

特に奥のもっと深くを見つけ出すことは、それがこの愛の種の意味なのである、お互いが真実を教え合うことを成長と呼ぶ。

それには、ポジティブな感覚ではなく、ネガティブな感覚もある、もちろん、ネガティブな方が、自分の投影、自分の奥の奥の閉まってしまった、影とか本音とか真実とかをあぶり出す。

そもそも、人は自分を作って見せているのであらば、存在していないということになる、時代や情景や性別などが表面的な自分を作っている。

ヒールを履いて、フィットネスやジムで体を作り、パットを入れて、有名な衣装を着て、顔に化粧か整形をして、自分を隠すことが、人生ではないし、自分ではない。

それで人と関わったとしても、延々と社交辞令を言い合っても、成長はしない、自分も現れない、偽った表面だけの人生では人は自分自身さえも自分を知らないままである。

人と関わるときに、なにか自分が思う反応がないとき、そこで、怒り、悲しみ、嫉妬して、エゴが自分の投影を人だと思うのだ、それは、自分への人へのコントロールや支配や服従になり、執着することになる、なぜなら、自分を見るには人が必要で、そのことがわかるまで、それが人からの愛だとか憎しみだとか勘違いして終わらない執着が始まり、縛り、握り潰すのだ。

恋愛ゲームを愛と思い、人をもてあそぶときモテてると思い、表面的な社交辞令や嘘や虚栄をポジティブな感情に受け取り、嘘つきの世界で、ジェットコースターのドラマが恋愛だと、幸せだと勘違いしてるのです。

全てが自分の欲求を人に映す、それは自分のフィルターを使っているから、自分が映る。

追いかけたり、逃げたり、愛はもっと深く自分の無意識を見せる、愛は自由、支配もなく服従もない、自分さえも、本当の自分はドラマの主役ではなく、穏やかな深い豊かな自分が誰も育つ前の種を奥底に自分の種を持っている。

そう、愛と同じで、自分も育てないと、表面的な浅い人のままだ、嘘をつき、表面を装うことばかり、人に合わせるばかりのいい人、優れた人、才能ある人を演じる人形でいるだけだ、嘘をつき、仮面をつけ、盛りに盛って、土台のないものに虚栄を積み上げていく。

そこで、自分と同じ人たちと集うから、いろんな人を知らない、いろんな人を省くから、嫌うから、いじめて排除するから、三文芝居か仮面舞踏会でしかないとそんな世界しかないと思い込む。

冒険もせず、ぬるま湯で、傷つかず、仮面を増やし、仮装も増やし、そして常識が後押ししてる。

誰も教えてくれない、自分で見つけ出すしかない、そして、自分の愛を育てることで、はじめて人と愛を育てられる土俵に立つ、愛は優しくもあり、冷たくもある、愛は自分をありのまま、奥底に追いやられてる、常識や道徳と言った表面的なコントロールしやすいルールで縛られてない、とても残忍で、とても優しくてとても怠惰でとても勤勉な自分の種を見つけ出し、成長させる愛というの行動である。そこではじめて、たくさんの失敗と挫折を経て、いろんな土俵を経て、自分という種を見つける。

そこから、誰も知らない、自分という世界に入り、自分を育て始めるのだ、それには、たくさんの出会いと別れ、苦しみと悲しみと喜びがある。

ポジティブな感情ではなかなか気づけないから、悲しみや苦しみや嫉妬や妬みなどのネガティブな感情を知る、その意味を知ることが、弱さや育ってないとこがはっきりしてくる。

弱さや未熟は大切な種、それを知るということが、自分を愛せる第一歩である。

それを無理やり鍛えたり、仮面をつけるわけではなく、隠さず、知る、気づく、そのことが大切だ。人間は完璧ではなく、完璧じゃないから、個性がある、それを隠さず、盛らず、自然に成長することが大事だ。

合理的に時間に沿って進むわけでもない、行ったり来たりもある、高揚したり、落ち込んだり、そうやって自分を知る経験、人を知る経験をするのである。

一生、表面だけで生きる人もいる、見えてる物質的なことで、一喜一憂して、それが人生だと思う人もいる、それは選択だ。自分が思ってる自分のままキャラを演じることがあたりめだとも思ってるし、そのほうが苦痛は少ない。

見ないと見えない、気づかないと気が付かない、経験しないとないわけで、それが選択をした自分の世界ではある。

それは自分だけではなく人もそうで、人自体が完璧ではない、その時、縁のあった人たちと、お互いの投影をしながら、お互い話したりして、成長を進めるのだ、それは批判してしまったり、憎んだり、そう、人は、自分のフィルターで見てるから、自分の考えてることや行動、当たり前を人に質問してくる、よく浮気する人が、恋人や婚姻関係の相手を疑うみたいな、そういうよく聞くこともあるが、もっとシビやだ、些細なことまでに、小さなことでも、人に見ている。

時々、その投影で、怒鳴ったり、怒ったり、ヒステリックになったり、恨んだりと、まあ、お門違いに変な行動を受けることもある。

私は若い時知らなかった、支配的なコントロールしてきて、依存関係に持ち込もうとする人たちが多くて、人を人形にしたり、自分の要求ばかり突き詰めたり、もしくは、貴方の思うようにしてあげるという優しさのような鎖、優しさという相手に責任を全て渡してしまう奴隷のような人たちこれもコントロールである、好きですかテストを延々と繰り返したり、恋愛ゲームで遊んでる人や、向き合っていこうとする人は、いなかった。もしかしたら、自分がそうだったとも言える。友達でも、家族でも知り合いでも。

話し合いがしたくても、いがみ合いとなろうとするか、逃げるか、投影されたことを根に持って、罵倒するか。

感情的にヒートアップしてる人に、一生懸命説明しようとしてもこちらも言葉は荒くなる、まあ、冷静に言っても、喧嘩腰でも、聞こえてはいない、とにかく自分の投影で発散したいだけだ。もちろんお互いが。

自分はどうだろう、私は考える、分析するこの感情は誰の気持ちって、もやもやもする、何のことかわからないこともある、私は書く、アウトプットして整理する。

こう言う思いは、いつも、書いて冷静に整理する。頭の中だけでは、思考が暴走して、自分のことを人にぶつけることになったりしかねない。

そもそもどうしてそう思ったんだろうとか、自分でも人でも考える、いろんな人がいるから、いろんなパターンを考える、人のポロッと言った言葉を積み上げて、その人の考えをまとめる。

自分も、思考だけではなく、直感を理由に分からない思いや感覚を捜査する。

そこに自分や人が隠されている。何の気なしに言った意識してない言葉、そこに、その人の本心が隠れている。

そう、一言二言ではなく、たくさん集めて、時には、どういう意味か聞いて、その意識してない、ポロッとした言葉を聞き逃さないように。

そこに自分の投影も関係する、聞こえてくるのは自分がピンとくる言葉だからだ。

しかし、ここでも混同して、自分というものが演じてる意識してる自分でしかないということで、これは自分とか愛とかに縛られた、ずっと繰り返されてる演技か本当かが分からない時もある。

絶対はなく、いつも探求だ、意識してることは、学び経験をしてデータとして、自分のチョイスや解釈で記憶するが、それは真実ではない。

自分の思考が作り上げた世界である。

時々や頻繁に直感で気づく、嫌な感覚、もやもやした感覚、自分自身の思考ではなく、直感が自分に伝える、時々強制終了のように終わることもある。

自分だと思っている、それを突き破ることは容易ではない、迷い苦しみ錯乱したとしても、自分を小さな常識で測ることだけは止めよう、それはただの表面的な物差しで自分を叩き潰すか、自分を意味なく賛美して、土台の危うい櫓の上に担ぎ上げるだけだ。

未熟で未完が自分なのだ、そこを知ることが大切で、もちろん、得意不得意とか、楽しい楽しくないとかはあって、測りようもないのが、人間だ。

愛をはじめから知ってる人はいない、優しいとかいい人とかも一面でしかない、そして、変化変容していくわけで、それを知る、経験する、体験することに価値があり、自分が何をしてもいいとか何をされてもいいわけではなく、そこで経験をしたならばそれをどうするかが、自分を知ることになる。小さな判断は、思考ではなく、無意識でやっている。

見えないものや気づかないこと、やってもいない意図しないことを、私たちは無意識で成長している。

だから、人とのコミュケーションで分からないことも大きいから、投影しているのだ。

これは自然で大切なことでもあり、無意識では感じていて、直感で、自分の思いや感覚が急に飛び出す。エゴとして飛び出したり、病気として飛び出す。

体も心も魂もつながっているから、意識では分からないことだらけだ、例えば人といくら話しても分からないことがある、当たり前だ、自分も分かってないのに、人は分からない、エゴに乗っ取られてる人、表面的なことにこだわってる人、誰かの顔色で自分に存在を見ている人、多かれ少なかれ、みんなそうだ、わからないのが当然だ。

好きな食べ物があるとして、なぜ好きかは本当はわからない、好きでもないものだったりもする、身体が欲してるものだったりもする、刺激的なことだけが経験ではない。同じ場面でも、自分が違えば、全く違う出来事なのだから、それは無理することはない、ゆっくり気がつくことや見えたことが、無意識から意識に顔を出す。

そう、無意識は意識や思考よりたくさん感じている、蓄積させている。

愛の種はそこにある、自分を見つけることが自分を愛することである。

人に隠しても隠さなくても、無意識のエネルギーで私たちは垂れ流している。だから、意識や常識や道徳では押さえても無駄だ、いくら仮面をかぶっても、誰もが、肉体は老いていく。

表面的に隠しても、腐敗臭は消せない、腐敗させないために、自分という愛の冒険を続けるのだ。

自分の暗黒を通って、自分を知る、頭がおかしいのでも鬱でもない、自分を知ってるし、まだたくさんの未知の自分があるということを知ったのだ。

それは誰にも必要のない自分、暗闇に押し込んだ自分、光り輝いているのを隠したり、嫌な自分だったり、誰も知らない、自分もわかってないなにか。

誰も知らない、誰も気づかない、説明する必要もない、自分と自分の対話、自分を愛する旅である。

そこで、ご飯が美味しい、濃い味やジャンキーじゃない素朴な味が、外に出ると気持ちいい、今だったら、ちょっと冷たい風で、それでも暖かい太陽が、きらめいてる、蝶や鳥が飛んでいて、何気ないことが、気持ちいい、誰かのちょっとした笑顔や、ふとした仕草や、そんな時に、自分が整っていて、苦しみや楽しみの間に、ふとしたことで、心が休まる、そんな時に、自分が顔をのぞかせる。本来は誰も、弱いとか強いとか、上とか下とか、判断しないありのまま、知らないこと、わからないことを見つけ出して、集める。楽しいこと悲しいことを感じて体験する、それが、自分を愛することで、否定的になることでも肯定的に判断することもない、旅である。

そして、一番大事なことが、自分の旅が内でも外でも起こってて、皆が多かれ少なかれ、旅に目覚め始めてたり、もうとっくに進んでる人、まだまだその旅を怖がって、幻想の現実にいて苦しんでたり、悲しんでいたり、もやもやしたり、欠けてる感覚があって、誰かを利用したり、コントロールしたり、支配したり、屈服して人形でいたり、自己犠牲の上でのことが、愛と思って、自分を削ってたり、職業やお金で自分の価値を測る方法で気休めしたり、いろんな人がいろんな生き方で、自分の価値を探る。

ちょっとしたバランスや、ちょっとした判断、ちょっとした選択が、積み重なって、何かが見えてくる。

一人一人が自分を見つける育てる旅は、誰もがいつか始めるときが来る。

うちに起こってることは外に起こってることなのだから。

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世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、
そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
住所 〒551-0021
大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
営業時間 10:00~18:00
定休日:火・日
代表者名 角戸 圭子 (カドト ケイコ)
E-mail info@kadotokeiko.com

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