Sowelu.keiko.kadoto|アートに生き、着る。人生 Sowelu.keiko.kadotoで取り扱う唯一無二の洋服は、デザイナー角戸圭子が1点1点パズルを組むように愛情を持って創っており、その作品は前も後ろも右も左もなく全方向でアシメトリーであるため、アートを着るように楽しい気持ちで、世界でただ一人オンリーワンな自分を生活の中でも自覚する、そんなお手伝いをしてくれます。

楽しい好きが進む道

 

      自然に楽しい好きが直感だ。

 

苦痛とか嫌だなって思うとき、努力とか、頑張りにシフトチェンジしてしまってる。

努力や頑張りが実は自分を壊す、未来を壊す、楽しいとか好きって、努力も頑張ってもなく人にはどう見えようが自然なんで、苦がない。

私は、人に好きなことしかしないって言われて、えって思い、何年か後に、嫌いなこと、嫌なことやってみた、もう全然うまくいかないし、人ともうまくいかない、自分の居場所じゃないけど頑張ってみた、だから最善の努力ってやつを人の指示でやってみた、身体も壊れ、心も壊れ、自分を見失う。

そこからどんどんうまくいかないって思い込んで、もう、わからない努力した、表面的な付き合いもしたが、もうつまらない、好きなこと、楽しいことがわからなくなる。

どうだろう、周りも違って見える、好き楽しいって思って生きてると、苦手なものが、楽しいことを見つける、そう、直感で、動くことがすごく大事、思考に流されると、危険信号を出し続け、危険にしてしまう。

苦痛や努力しかない、我慢の世界には、直感の声が聞こえなくなる、思考にナビさせると、安全と言う名の、不幸に突き進む。

全く、自分の直感とは違う、好きでも楽しくもない、誰かが決めた当たり前という、誰かが考えた道を歩く。

これが、当たり前で常識と言う、誰かがコントロールするための道。

これを一旦抜け出すのは、自分に戻ることが大切だけど、自信を失い、自分の声が小さい。

わかった、好きなこと楽しいことをすることが、大切で、人の見た目に合わせても意味がない、やってみたら、ずいぶん回り道になったが、知ったよ。

自分の声を知ることはとてつもなく大切で、時にはミスや失敗に見えて、自信を失うが、自分が決めたことは、何か意味を見つけ出す。未完ということもある、結果は出てない、何が願いや目的かって、人のために我慢と努力や嫌なことして、全く適切でもない指示に従って、何もかもが嫌になる。

人って、それぞれで、得意不得意もあるけど、歩く道は違って見えるけど、向かっていることは、豊かだったり、成長だったり、幸せだったりする。平等で、その人が成長を望む時に成長が始まる、だから、人には誰かをコントロールすることも、薄っぺらい意識で指示しても、無駄でしかない、無駄っていうか、場所違い、次元違い。

好きや楽しいが成長を生む、もちろん迷いや無駄とも取れることでも、努力や我慢に見えていても、好きや楽しいでやっていると夢中で、苦痛に感じない、苦痛の要素は自分には見えない。

自然にやってると、時には越えにくい山があったとしても、そう感じずにいる。

我慢や努力頑張りとは、ブレーキを踏みつつアクセル踏む、思考はそれをさせたがる、いつ危険に出くわすか回避のためというが、ブレーキとアクセルを踏む行為は、かえって危険である。

本当は、生きていることで、息するのだって、歩くのだって、好きだと感じるのだって、楽しいと感じるのも、思考には関係がない、思考はそれがわからない、過去のデータで未来を最悪な予測をしてるだけだ。

思考が悪いわけではなく、思考を主力に持っていくと、ネガティブな未来しか、当たり前という誰の未来かわからないものを目標に据える。

元々の持ってるデータでしか思考は選べない、せめて創造を使えば、そう計算じゃない、波、波動、オーラ、周波数、目に見えてないものも取り入れる、総計算でないと、意識化だけでは、見えないものが多すぎる。

私に好きなことしかしないって言ってた人は才能も美貌もあるのになんなら頭も良さそうだが、それは創造性を持たない、記憶力の頭の良さだったのかもしれない。

結局、その人は支配と服従の世界に生きていて、自分が思考することは誰かの顔色をうかがうものだった。

その人はどうなったかを知らない。私の周りには、コントロールして支配して、誰かの都合の良い人に据えようとする、利用するしかしない、支配しかしない、奴隷か、服従を求める人しかいない。

そこからは、創造も愛も才能も成長も育たない、食いつぶすことしか知らない人たち、多分それでは続かない、広がりも深さも育たない。

私は闘わないと生きていけないと思っていたが、自分のいる場所、次元、違う、外ではない、内面の、自分を好き楽しいという、そういう次元や場所にいればよかった。

外はどうであれ、人を助けるという、要求を聞くという、優しさや愛を相手にとって支配として、コントロールで奪わせない。

私は、そういう人たちに、一歩道を譲っていた、関わりたくない、が、我慢、努力、頑張りや優しさや愛が、自分の裏切りではいけないのだ。

人が真実を湾曲させて、見かけの平和や友情や愛情や成功は、手や足、才能や伸び伸びとした縮こまらない自分がいることは、お互いがそういう世界で生きていける、それが各自の好きや楽しいなのだから。

好きや楽しいが人を潰し、自分を潰す人は、支配や服従の住人には、関わらない世界にいること、世間一般的な常識と言う、偽物の世界はそこが好きで楽しい人たちに任せて、自分の真実の世界で生き的には、自分自身が正直に素直に自分の真実と本質の世界にたとえ、独りでも、生きていることのほうが、自分がその世界を創造、自由、魂の成長であって、豊かで幸せ、愛の世界になっていく。

居心地がいい、無理がない、仮面をかぶってまで、誰かでいないでいい、自分が楽しくて、好きな居場所、それは、もしかしたら、はじめから得れることはなく、機能不全の家族、友達、恋人、仕事場と言うあらゆるコミュニティで、知るために、自分を見つけるために、そういうコミュニティで闘いをして初めて、気がつくのかと、合わせて、偽物の共感や共鳴や共有とかを運命と思われる不完全な愛、条件付きな愛に合うことで、はっきり気づくのです。

いかに愛や優しさの支配が当たり前で、社会的で、依存関係が常識で、独立した、自由な愛や幸せや誠実な助け合いがないか。

経験が真実の愛や豊かさが、好きや楽しいが、壊れてから、初めてそれが、自分が見る投影、理想の人というものに、自分や人に対して見ていた幻に気がつき、自分の本当の好き楽しいを見つけられる自分の声に気がつくのです。

長い道のりです、我慢や努力と思った地点で、それは、刷り込まれた頑張れば、努力すれば、自分が我慢すればという常識に飲み込まれてたことに、いい人で、優しい人で、気が利く人でないと人が存在を許さない、と思い込んでるのです。

誰も気づきません、その努力や我慢は当たり前として、人も自分も何も無いとして生きているのです。

だから、楽しく好きなことをしてると見える人は、必ず説教され、嫌われ、怠け者に見え、低い地位で、ゴミに思われ、コミュニティから追い出されるのです。

そんな場所には、そんなコミュニティには、飛び出せることが逆に自分にとっては良いわけで、居心地が悪い、要求と利用や支配だけのコミュニティや人からは、関わらないほうがいい。

好きで楽しい自然の日常がある意味、自分との闘いである。

人とは誠実な愛ある尊重できる関係、深い自由な伸び伸びとした関係。

誰もが依存関係を推奨し、支配と服従で、安心をごまかす世界は居心地が悪い。

喧嘩ではなく、要求でも押し付けでもなく、話す、知る、お互いが尊重できる人格を壊さない、隠れない、縮こまらない、その人はその人として、自分は自分として、かざらない素のままで、存在が大切にできる、執着が、思い合いでいる関係、それは、人とだけでなく、一番は自分との関係が大切です。

色んな人と会い、話をして、関わることで、そういうことを、違う角度で見ることや、人が違う好きや楽しいがあるということの存在を認識するのです。

あるがまま、尊重できて、自分でも人でもコントロールできない、執着や、依存ではなく、自然に流れているものに、好き楽しいって自然に思うのだ、多分、誰もコントロールはできない、自然な流れにある。

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そんなお手伝いをしてくれます。

屋号 Sowelu.keiko kadoto
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大阪府大阪市大正区南恩加島6-16-21
電話番号 090-5063-3092
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